« July 2005 | Main | September 2005 »

2005.08.30

生ハムには赤肉メロン!

伊丹十三のエッセイ「女たちよ!」を読んでいる。

昭和43年に発行されたエッセイ集である。43年ですよ。私が生まれる前ですよ。

まず冒頭のエッセイが、パスタについて。
当時の日本では、スパゲッティを柔らかく茹でて、さらにフライパンに移して、ケチャップとハムやピーマンで炒めてしまってから食していた。
それを伊丹氏が嘆く。
「いいですか、パスタというのは、うどんではないのですよ!」と。
そして、”アルデンテ”の概念を紹介し、本当のイタリア式パスタの茹で方、パスタソースの作り方を紹介している。

ここを読むと、ははーん、ぐらいにしか思わない。
今ではすでにアルデンテという言葉は、うちの親だって知っているぐらい、知識としてはもう既知のものだから。
さりとて、アルデンテが広く世の中に浸透したのは、日本がバブルに浮かれ始めた80年代後半ぐらいからではないかというのが私の実感だし、うちの親にまで認知されるようになったのは、21世紀に入ってからではないかしら?と思うので、正しきイタリア式パスタの基礎、アルデンテを昭和43年に紹介したエッセイは画期的だったのだろうと思う。

そういう具合に、私はついうっかりこのエッセイを、過去の偉業・はたまたエッセイの古典とか、そんなつもりで読みすすめようとしたんですが・・・。

その気持ちはすぐに撃沈されてしまいました。

イタリア料理の前菜として、生ハムメロンが紹介されていたのです。
メロンが食後のデザートではなく、前菜として振舞われることの紹介と、生ハムとの絶妙な相性についての文章が続きます。

そして、衝撃的な文章に出くわしたわけです。

生ハムとあわせるメロンは、赤肉のメロンでなくてはならぬ。日本なら名前は忘れたが千葉県のほうでとれる、肉がオレンジ色の小さなメロンでなくてはならないのだそうだ。マスクメロンでは甘すぎて、生ハムとは合わないのだそうだ!

膝を打ったよ。

私は今まで、生ハムメロンを???と思いながら味わったことが何度もあるのです。
絶妙なハーモニーと食通は言うけれど、そんなに合うかしらん?私の舌がおかしいのか?と。

友人宅のちょっとこじゃれたホームパーティーで出てきた生ハムメロンは、メロンが青肉だった。
雰囲気の良いバーで、出てきた生ハムメロンも、メロンが青かった。
そこそこのイタリアンレストランでも、青肉メロンの生ハムメロンを食べた覚えがある・・・。

一方で、これは美味しい!と感じた生ハムメロン体験もあった。あの時はメロンが赤肉だったのかも・・。そうだ、そうに違いない!!!


さっそく近所にメロンを買いに走るも、大き目の青肉メロンしか店頭に並んでいなかったので、まだ実証はできないけど、頭の中でモヤモヤとしていたものが晴れた気がしましたよ。(ちょっと大げさかもしれないけど、ホントに。)


昭和43年のエッセイに教えられるとはね・・。
私だけ無知だったのか、日本がまだまだ無知なのか。
(千葉県産の赤肉メロンをネットで調べていたら、メロンのネット販売サイトにいろいろたどり着きましたが、青肉メロンと生ハムのギフトセットもあるようなので、やっぱり日本が37年前の伊丹十三氏にまだ追いついていないのかも・・・)


こんな調子で、まだ全然色あせていない、粋と知識の詰まったエッセイ集でした。
このエッセイをネタに、いくつブログが更新できるだろう・・・って思うぐらい。


そのうちまた更新。

「女たちよ!」伊丹十三


***********
2006年6月・追記

実践・生ハムには赤肉メロン」を更新。
実際に、赤肉メロンでためしてみた感想です。
***********


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.24

「子供が育つ魔法の言葉」ドロシー・ローノルト

まだ読みかけなんですが、皇太子様も読んでいると言う話題の育児書「子供が育つ魔法の言葉」を読んでいる。

子供に対して感情的になったりせず、愛情に満ちた態度で、子供を励まし、のびやかに育つようにリードしていくことの大切さを説いている本、というのが今のところの印象。

この本を読みながら、自分の育児について考えていて・・・と言いたいところだが、実は違う。

私の両親のことを考えてしまっている。

何しろ、ドロシー・ローノルドが、「~~~こんなふうに言ってはなりません。子供は深く傷つき、×××な子になってしまいます。」と、ダメ出しをするのだけど、まさに「言ってはならない」言葉をさんざん言われて私は育ったんだもの。


そーか、だからか。
私がワガママでいい加減で、感情的で、ふてぶてしくて、短気で怒りっぽくて、まあ詰まるところどうしようもない奴に育ってしまったのは、うちの両親が子育てに失敗したからだったのね~。
言ってはならない言葉ばかり言われてたもんねー!!

と、自分の幼少期・少女時代を回想しながら読んでいるのだ。

でもですよ。

今のところ私は、
①刑法に触れるようなことはしていなく、
②職を得て、経済的に自立しており、
③友人もそこそこいて
④好きになった男性とめでたく結婚し、
⑤夫婦で望んだ結果として子供2人に恵まれ、
⑥実家の親と孫を囲んで誕生日パーティーを開くような、

人間になったとも言えるのです。

世間の皆さんや、うちの親が、どれだけのことを私に望み、託していたのか知りませんが、そんなに悪くもないんじゃないの?私。
ワガママでいい加減で、感情的でふてぶてしく、短気で怒りっぽく、そうそう飽きっぽくて面倒くさがりの、ダメな奴だとしてもですよ。
(こういう考え方がふてぶてしい。)

つまり、「言ってはいけない」言葉ばかりシャワーのように毎日浴びて育てられた子供も、平均点は取れるんだよなぁ。

別にドロシー・ローノルドさんに反論したいわけではない。やっぱり彼女の言うように、暖かい目で子供を見つめ、子供の人格を肯定的に捉えながらの会話は、非常にいいことなのだと思う。
でも、私の親にしろ、私自身にしろ、世の中の親のすべてが人格者ではないのだから、ときには、
「アンタって子はどうしてそう×××なの!」
と、怒鳴ってしまったり、
理由も聞かずに、「ワガママ言うんじゃありません!」とねじ伏せちゃうこともあるのだ。

だけど、そんな自分を母親失格と思わずに、あんまり思い詰めずに、「あちゃちゃ~、また言っちゃったよ」ぐらいでやり過ごしてもいいのかも・・・と思う。

「言ってはいけない」ネガティブワードで育てられた私が、そこそこ幸せに毎日を過ごしている限り・・。

気楽に気楽に。
聖人君子でない自分と向き合いながら、子供に接してみようと思う。

今夜は本の続きを読んでから寝ます。


「子供が育つ魔法の言葉」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.21

TV 「TOKYO美人物語」

たった今、日本テレビの資生堂の特番「TOKYO美人物語」を見終えたところ。

週末出かけていたので疲れがひどく、眠くてたまんないのでちょっとだけ書き記しておく。

圧巻はオノ・ヨーコと、後藤久美子だった。
2人は、「セレブリティ」という言葉が本来の意味であてはまると思う。

オノ・ヨーコの語る言葉は、表面的ではなく、一語一語に迫力があった。
「本当のキレイとは?」という質問に、「戦争以外はすべてキレイ」という答えは、芸術家らしいと思う。

そして後藤久美子。
彼女の容姿には圧倒されるばかりだ。
デビュー当時の彼女に、否定的な態度を示していた自分が恥ずかしい。
昔、私は彼女が「国民的美少女」と言われることにさかんに首をかしげていたから。私の中で美少女というのは、色白で、目がパッチリと大きく、可憐そのものであるという固定観念があったから。
しかし、彼女が年齢を重ねるにつれて、彼女がどれほど美しい人であるかを見せつけられ、感嘆するばかりだ。美しさと、知性と、野性と、品格が、絶妙なバランスで融合されているのだもの。

彼女はジャン・アレジと結婚することで、日本の有名女優から、ヨーロッパのセレブリティとなり、ますます美しくなった感じ。映像で、動き、しゃべる後藤久美子に目が釘付けでした。
番組では、彼女のアビニョンの別荘(古城)の豪華さを紹介していたけど、そんなことより、後藤久美子本人のゴージャスさ、ヨーロピアンマダムとしての自然な風格に見惚れてしまいました。
(ちょっと猫背気味なところが少し気になったけど。)

そして、本当のキレイとは?という質問に対する後藤久美子の答え。
「完全な健康体であること。毎日の生活をきちんとすること。その中で自分の楽しみの時間を作ること」と言っていたと思う。(うろ覚え) 私は、それを 「美しさとは積み重ねである。」 という意味に捉えた。 健康的な食生活、十分な睡眠、安定した心、きちんとした日常、そして自分を自由にし、自分のためだけに使う至福のひととき・・。
思い切りうなづいてしまう。
尊敬しちゃうなぁ。


さて、私にとっての本当のキレイとは何か。

それは・・・・
この番組を見るために、子供たちを10時に寝かしつけ、ただ見てるだけじゃキレイになれないと思い、番組中ストレッチや筋トレをしていた私の心がけです!
(ただし、オノ・ヨーコと後藤久美子の時には、番組に没頭してしまいましたが。)

さあ今夜は、こうしてブログの更新(=自分の楽しみの時間)も過ごしましたし、あとは十分な睡眠をとろうと思います。

それでは夢の世界へ行ってきます。


| | Comments (2) | TrackBack (1)

2005.08.19

2児の母という高スペック

最近、褒められることが多い。

「若いよねー」
「スタイルいいよねー」
「いい感じ~」

などなど。
しかも、男友達からもよく褒められるのですよ。

な~んて書くと、私がものすごくスタイルもよく、若く、素敵な女性みたいですね。ぷっ。

本当のことを言うと、これら全ての賛辞には前置きがつくのです。

「子供2人いるわりには、体型崩れてないね」
「子供2人いるふうには見えないよね」


そう、褒められてはいるんだけれど、客観性は非常に薄いのがポイント。

モデルやタレント、もしくは身近な美しい女性と比べて、私を褒めているのではないのです。
おそらくは、子供を2人産んで、でっぷり太って肝っ玉母ちゃんになってしまった友人や、悲しいかな自分の妻、もしくは近所のオバサンたちと私を比較して、

「痩せてる!」「若い!」「いい感じ!」と褒めてくれてるのだ。

比較対照先が低いっつーの。


わかってるから、たとえ褒められても有頂天にはならないけど、それでも一応、高く評価されることは嬉しい。
実際に私は、体重管理頑張ったり、美しくありたいものだと願ったりして努力しているわけですからね。ウム。


さてそこで考えてみた。

もし私が子供を産んでいなかったらどうだったんだろうか、と。
私の場合、2度目の出産を機に痩せたので、出産していなかったらけっこう太っていたのだけど、とりあえず、今現在の体重・スタイル・外見のまま、子ナシだったとしよう。

果たして、「若い!」「痩せてる!」「いい感じ!」と言われたのか。

女友達は優しいから、適宜励ますように(・・・!)褒めてくれるけど、男性からはどうであろうか。

「オバサンとは言わないけど、オマエも結構、年とったよなー。」
「ちゃんと頑張んないと、すぐ太るぞー。オマエも30超えたんだし。」
「・・・で、オマエこれからどうすんの?社会人になって10年だろ?仕事もさー・・(中略)。あと子供とかどーするわけ?」
極めつけ、二言目には、「オマエももう若くないんだからさぁ」


しみじみするねぇ・・。
アンタに言われたくないわよ!!って思うけど、えてして男たちの評価というのはこんなもんだ。このブログをお読みの子なし・30代の女性の方、親しき仲にも礼儀ありって言葉を忘れた親しい男友達に、こんなこと言われたことないですか?このとき彼らは、20代の女の子と比べているので、キツイ評価となるのですよ。比較対照が厳しいんだね。


芸能界を見ても同じ現象はあると思う。
たとえば、藤原紀香と松嶋菜々子。2人とも天下を取った女優である。そして紀香は独身・子なし。菜々子は1児の母となった。
世の中の評価は・・・?

菜々子は出産を経て、さらに評価をあげたと思う。
「子供産んでもスタイルいい!」「可愛い!」
つまり、世の中の子供を産んだ女性と比べてさらに評価されたうえ、好感度も高めた。

逆に紀香は厳しい。
スタイル抜群の美女というスペックでは、後続がすさまじい勢いで現れるからである。米倉涼子、サトエリ、最近なら山田優・・・。そしてどうせなら、若かったり、新人だったりするほうに、世の中の目は向いていってしまう。つまり、高レベルの比較対照と張り合わなければならないから、評価を維持するのが大変なのです。


今日の結論。
出産は女性としての比較のステージを変える。


今日の野望。
今の体型・外見をキープしたい。そして、
「子供が2人いるの。10歳と8歳よ」と涼やかに言って見たい。
賞賛の嵐を浴びるであろう。
絶対的な評価ではなく、低レベルの争いにおける相対的評価ではあろうが。

あと7年か・・・できるか?
頑張ろう!!
2児の母という肩書きを「高スペック」にするのだ!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.16

子供の夢・母の夢

3才になったばかりの我が子に、「大きくなったら何になるの?」と聞いてみた。
そうしたら、

「会社に行って、働きます。」

と、言うではないのー!!


感慨に打ちのめされたね。


サラリーマンになろうという3歳児を、「夢がない子供」なんて思ったりしませんよ。
彼女は単純に、「母のように」なろうと思ったのです。
(あ、パパも会社員だから、両親のようになりたいと思っていると書くべきか・・・)

まあね、3才ですからね。
世の中にどんなお仕事があるのかもよく知らないし、大人になったらどんなことが出来るようになるのかもはっきりわかっていませんし、多分、両親が会社で働いているから、大人になったらそうするものなんだと、3才なりに考えたというのが正解でしょうよ。

でもなんていうか、嬉しかったね。
会社に行って働いている自分を肯定してもらった気がしたんだよね。


この先彼女が成長して、「将来どうしたいか」は自分で決めていけばいいと思う。
だけど選択肢として、「母みたいな生き方も良いな」と思ってもらいたい。

会社に行って働く。

それは決して夢のないことではないよ。

母にはね、会社に行って働くことが結局楽しいわけだし、会社に行って働くことで叶えている夢もある。そして、まだ娘には秘密にしてるけど、このさきもっと大きな夢もある。

夢もあれば野望もある。希望もあれば祈りもある。

私がこれから叶えていく夢が、娘たちにも良い道しるべになりますように。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.08.03

スターウォーズに学ぶ、理想のプレパパ像

スターウォーズの興奮まだ冷めやらぬ今日。エピソード3の最大の謎について考えてみたい。

ちょっとネタばれになってしまうけど、パドメ(ナタリー・ポートマン)が妊娠。しかし喜びも束の間、アナキンは彼女が出産で苦しみ、果てには・・・という予知夢をみてしまう。それが彼をフォースの暗黒面へ導く要因のひとつとなっている。

出産でもだえ苦しむ妻・・・彼女を死なせはしない!!!!

でもですよ。
無痛分娩にすれば、パドメは苦しまないのよ。
難産になってしまう場合も、帝王切開にすればよいのよ。

だいたい、出産の痛みで妊婦は死にません。

そのへんはどうなんでしょうか???ルーカス監督!!!

アナキンは、彼女を救うためにフォースの暗黒面を学ぼうとするより、妊娠中の過ごし方や、分娩の方法についてきちんと学べばよかったんではないでしょうか?


・・・さて。

このブログの読者には、妊婦さんや、妊婦予備軍も多いのですが、皆様の旦那様はいかがでしょうか?

子供が生まれるぞー、今よりもっと稼いで頑張らねば!と張り切ってたりしますか?
出世しなくちゃ。給料あげなくちゃ。
よっしゃ、毎晩残業だ!!となっていますか?

それも大切だけど、アナキン・スカイウォーカー的要素が濃いタイプです。
ジェダイ・マスターになろうと焦ったり、はてには自分こそ宇宙を支配したいと願ったりするアナキン・スカイウォーカーと似たり寄ったりです。
暗黒面に落ちる可能性があります。
危険!!!

「胸が張り裂けそう・・・!!」(by パドメ)


やはりここは、妊娠中のあるべき生活を夫婦ともに学び、妻の妊娠状態にあった分娩方法を考え、妻の心の平静のためにできるだけ早く帰宅して欲しいもの。
夜中の陣痛や、予期せぬ出血にも夫がいてくれるだけで心強い。
さらに、これから赤ちゃんが生まれても、育児を夫婦でやっていこうという安心感・連帯感も生まれます。

いざ分娩!という時には、妻の手をしっかり握り、
「フォースと共にあらんことを。」
と言ってこそ、真の夫、真のジェダイです。


アナキンが、真のジェダイになり損ねたのはここなのですよ。

というわけで、皆様のご主人がダースベイダーにならないことをお祈りしています。

(ちなみに私は美のダースベイダーだけどさ!)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« July 2005 | Main | September 2005 »