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2005.10.30

TV「チャングムの誓い」

最近ついにハマっちゃったのが、韓国ドラマ「チャングムの誓い」。

世の中は韓流ブームで韓国ドラマも数多く放映されていますが、私は韓国ドラマは今までまったくダメでした。友人は昔の日本のドラマみたいで懐かしい!と言うのですが、私は懐かしい気持ちよりも気恥ずかしい気持ちが勝ってしまったワケです。「冬のソナタ」も15分以上見れなかったし、他の韓国ドラマもTVでやってるとすばやくチャンネルを変えていました。

韓国映画と韓国料理は大好きなんですけどね。

なぜかドラマはいかんのでした・・。

ところが、先月ぐらいからNHKの地上波で土曜日23:10から放映が始まった「宮廷女官 チャングムの誓い」にはしっかりハマってしまいました~!!!!
やったね!私もついにブームに乗りましたよ!


「チャングムの誓い」は時代劇なので、韓国の現代ドラマを古臭く感じていた私もまったく違和感なく見れました。何しろ時代劇だしね。
政争に巻き込まれるような形で両親を失ってしまったチャングムが、亡き母の遺志を受け継いで宮中で出世していくドラマらしく、現在はその少女期を放映中。
母の遺言をまっとうすべく健気に頑張る少女チャングムは、「おしん」を見ているようですし、身分が低いといじめられるチャングムは本当にいじましい・・。それでも黙々とキツイ仕事をこなし、優しく賢いチャングム。まるで「小公女セーラ」です。そして女ばかりの宮廷のドロドロや政治抗争は「大奥」を見ているようです。そして韓国宮廷料理の世界まで垣間見れるとあっては面白いことこの上ない。

そんなわけで、
「時代劇」に抵抗がなく、「おしん」や「小公女セーラ」のような苦労する少女モノに感涙しがちで、「大奥」って言葉だけでなんだかゾクゾクしちゃうようなタイプで、おまけに食べ物大好きっていう人は今からでも遅くない、ぜひ「チャングムの誓い」を見てください!!

公式サイトはこちら


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2005.10.23

環境がオシャレを育てる

子供が通っている保育園の保育士さんたちがみんなオシャレで可愛らしいという話になった。その保育園は20代前半の若い保育士さんが多くて、若い女の子なんだからオシャレしてて当たり前・・・と思うかもしれないが、広く世の中見渡してみればそうでもない。
ちーっともオシャレしていない20代も相当数いるのだ。
ましてや、彼女たちの仕事は保育士。勤務中は私服ではなく保育園おそろいのトレーナーにキュロットやパンツ姿でエプロンをしているのだ。仕事のあとに遊びに行く予定がなければ、適当な私服に着替えてまっすぐ家に帰ってしまっていいわけだ。
なのに、彼女たちは毎日かなり可愛らしい格好をしているのですよ。
仕事のあと毎晩デートの約束があったり、遊びに行ってるのだろうか???
いや多分そうでもなさそう。毎日ではなさそう。

結論は一つ。

彼女たちの中に、「ちゃんとオシャレしなくちゃね!」という意識があり、お互いに緊張感を強いているんだろう。

おそらく更衣室で、もしくは保育園から最寄り駅までの間で、「あ、それかわいいね~!」とか、「今年っぽいね」とか、「わ~それどこで買ったのぉ?」とか、相手の私服のセンスについて賞賛という名のするどいチェックが日々行き交っているのだと思う。

こういう環境だと、「今日は家に帰るだけだし、外は雨だし、もうどうでもいいやー」と、いいかげんな格好で出勤できなくなってしまうんですね。


実体験がある。
学校でも職場でも、自分の周りの人が服装について独特の考えを持っていて、オシャレや流行から完全に切り離されているような場合、次第に自分自身もどうでもいいかなぁという気になってしまう。
「私はパンク・ファッション以外着ないのよ。なんか文句ある?!」みたいな人や、「冬は寒さをしのげればいいのだ」といってはばからず、何年前に買ったのだろうか・・・というファッションで確かに寒さだけは凌いでいるようなタイプが学校とか職場にいて、毎朝顔をつき合わせているとしよう。こういう人たちは他人のファッションもどうでもいいので、たとえばフリル付ブラウスを新調して着て行っても絶対に「あ、ヴィクトリアン調だね~」などといってもらえない。関心をもたれなくなると、人間弱いもので、なんだかどうでもよくなってしまう。特別な用事がある日以外は、「この人たちに何思われてもいいし・・・」と、どんどんどうでもよくなってしまう。
私は過去、”独自のファッションセンス”の人たちに囲まれてしまい、自分を見失った。(言いすぎ。)


逆に周囲がオシャレを非常に楽しんでいると、いろいろ気づいてもらえるし、見られている自分というのがよい刺激になって、切磋琢磨・相乗効果となる。


で、最近の私の環境。
会社の女性は押しなべてオシャレで可愛らしく、子供が通う保育園の保育士さんは若くて可愛らしくオシャレが楽しくて仕方ないといった感じ。特筆すべきはママ友達や近所の仲良しさんで、道ですれ違ったときやスーパーで会った時に、必ず化粧をしており、服装もきちんとコーディネートされてるんですよ。流行に流されてはいないけど取り残されてもいない。ブランド物も嫌味ない程度に品良く取り入れていたり。素晴らしい。
私もちゃんとしなくちゃ!と思う。

うちは下の子がようやく1歳過ぎたけれど、まだまだ私の洋服で鼻水拭いたり、引っ張ってしまったりで、高価な服などとても怖くて着られないと思う。編み上げブーツなんかもまだ無理かも。

でも、「子供がまだ手がかかるから・・」をエクスキューズにしないで頑張ろうと思う。

「子供を産んだから・・・(体型が崩れても仕方ない)」
「子供が手がかかるから・・・(自分に手をかけられなくても仕方ない)」
などと言っていると、やっぱりそういう人としか友達になれず、お互い慰めあいながら加速度的に堕落していくと思うから。

そして、自分の周りの人の「オシャレ」にもどんどん気づいて、どんどん口に出して褒めて、「オシャレ環境」の影響の輪を広げていきたいなと思う。


今年っぽい、ショートジャケット買いました。ブヒヒ。

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2005.10.13

「愛しあう」ジャン=フィリップ・トゥーサン

フランスっつーのは、もう、まったくもう、やれやれですねぇ・・・。

お互いを傷つけあいながら、肉体と魂で結びつこうとする男と女。
二人の関係には、思いやりとか、相手への優しげないたわりや、それに応える心とか、礼節、さらには常識的ふるまいみたいなのが大分欠けている。
刃物と刃物が抱き合ったら、お互い血まみれになる。

「ラスト・タンゴ・イン・パリ」とか、「ポン・ヌフの恋人」なんかも痛々しい男女の愛だった。

フランスの男と女っつーのは、こんな結びつきが普通なのかね?
そんなに本能で生きててどうすんのさ。


実際のフランス人男女がどうかはわからないけど、この手の小説や映画が流行る土壌のある国ではあるんだろうな。

「愛しあう」の舞台は、日本の東京そして京都。
案外、日本人読者を狙って書かれたものかもしれないけど。

ちなみに原題は「Faire L'amour」 
そのまま英単語に置き換えると、Do Love になるんだと思う。
Faire L'amore が、セックスするという意味で使われることを考えると Make Love です。

フランスでは Doで、アメリカでは Makeという動詞になることからも、
愛の形が違うというものです。
「愛しあう」の作中でも、彼らはどしゃぶりの新宿の歩道橋の上で、Do してしまう。
きっとアメリカ人男女だと、ちゃんとホテルに戻って、しかもホテルの部屋には薔薇が敷き詰められ、よく冷えたシャンパンなんかもあって、サプライズのあとに Make するのだろう。・・・リチャード・ギアかなんかが。

邦題の「愛しあう」は、どうなんでしょうね。
ちょっとロマンチックなイメージを喚起させすぎてよくない気がするけど。
「交わる」ぐらいが、本能的で性的な意味がよく伝わるのではなかろうか。

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9月の普通じゃない忙しさの中で読んだ数少ない本でした。

落ち着きを取り戻した今、猛烈に読書がしたいです。


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「愛しあう」ジャン=フィリップ・トゥーサン


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2005.10.06

復活?!

9月末の異常な忙しさに、半分放心状態、帰宅後夕飯を作って子供たちに食べさせ、お風呂入れ、そしたらもう倒れるように眠りたい・・・最低限のことしかできないよ・・・という毎日でした。

10月に入って一段落着いたかな。

またいろいろ書きたいな。


最近考えていたバカなこと。

①シルクのような髪・・という表現があるが、シルクのような髪の毛を使って布地を作らせた王様はいたのだろうか?

②サンボマスターは大好きだけど、ボーカルを思い出そうとすると何故かカンニング竹山を思い出してしまうのはとてもイヤだ。

③本屋で見た女性向け雑誌の見出し、「私だって勝ち髪」「恋に落ちる技術」「整形メイクで劇的ビフォアー・アフター」。すごい!素晴らしい!


ではまた。

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