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2006.01.31

「愛の流刑地」最終回

「アイルケ」こと「愛の流刑地」終わりましたね。

・・・なんの感慨もわきません。
あー終わったなぁというだけ。

渡辺淳一先生は、「愛の到達点としての死」に本当にこだわっているのだね。
「失楽園」のときは、愛し合うが故に死を選ぶ2人を描いていた。

「失楽園」も不倫ではあるものの、死ななくてはいけないような社会的背景もなく、借金もなく、とくに追い詰められた2人でもないのに、もーこのまんま2人で死んでしまおう!というお話。
「愛の流刑地」では死ぬのは女だけだけど、冬香は「愛の極み」で積極的に死を願い、それが達せられた幸福な女・・・っていう展開。
「愛-エロス-」の先には、「死」があり、それこそ「真実の愛」で「成熟した大人の男女の到達点」なんだ・・・そうだ。

そのてんに同意するかどうかは別として、渡辺淳一のしたかったことは、恋愛小説のバリエーションを1つ増やすことだったんだと思う。

だって普通は、
愛し合う男女がいるが、社会的に許されない2人であったり、病気だとか、借金だとか、2人が愛を貫くには決定的な障害があるという設定。そして2人がその困難を乗り越える(ハッピーエンド)か、逃避行に走って挙句に一緒に死んでしまう(悲恋モノ)というようなのが定型である。

でも、渡辺淳一作品の特徴は、
愛し合う男女がいるが、たいして困難はなく逢引を続け、このままズルズルと関係を続けていけばいいだけなのに、なんでかしらん、死んじゃうというパターンなのだ。

この「なんでかしらん」が小説としては重要。
死ぬ必要がないのに、死を選ぶ心理描写やプロセスというのが大事になってくる。
小説の醍醐味である。


「愛の流刑地」の場合、
主人公の男女が「性のエリート」であることが繰り返し強調されて、
もうこのまんま死んじゃったらすっごく気持ちいいんじゃないかしらーん♪
子供が3人いるけどもういいやーん♪
ランラララーン♪
と死を選ぶのだ。

・・・・・・・。

もし私がお金を積まれて「愛の流刑地」の帯宣伝を書くとしたら、
「圧倒的な筆力で、究極の愛と死を描いた意欲作」
にする。

「圧倒的な筆力」=「相当強引に」
「意欲作」=「ともすれば失敗作ともいう」

だけど、渡辺淳一が日経の朝の連載小説を書くと株価が上るというのは定説になりそうで怖い・・・・。

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