2009.10.03
今日は絵本の読み聞かせの話。
小学1年生にもなると、それなりに長いお話や、
ストーリーの面白さも欲しい頃。
一方、下の子はまだまだ絵本が楽しい年ごろ。
さてどんな本なら、1冊で両方の子供を満足させられるのかと思案したところ、
よい本がみつかった。
かこさとし著 からだのほん
シリーズで全10巻となっている。
1.あなたのおへそ
2.たべもののたび
3.むしばミュータンスのぼうけん
4.あか・しろ・あおいち
5.はしれますかとべますか
6.てとてとゆびと
7.あがりめさがりめだいじなめ
8.ほねはおれますくだけます
9.すってはいてよいくうき
10.わたしののうとあなたのこころ
どれも絵が多くて、文章は簡潔。
けれど、子供にとっては新しい知識満載で、
自分のからだの仕組みがよくわかるため、
飽きずに読んでくれる。
また、単純な科学の本ではなく、
子供たちが心身ともに丈夫に健全に育つよう願う、
かこさとしさんの温かくも切実な祈りが伝わってくるのもよい。
科学に道徳をあわせた本。
これらの本を読むと、
なぜ歯を磨かなくてはいけないのか、
なぜ何時間もテレビをみてはいけないのか、
なぜタバコはよくないのか、
なぜアルコールはよくないのか、
きちんとわかる。
そして、
きれいな空気をすったり、
遠くの美しい景色をみたり、
からだを動かし、
しっかり食べることの大切さもわかる。
健康な体に、健全な心が宿る理由もわかる。
読み聞かせにもちょうどよい長さで、
しつけにも役立ち、
知的好奇心も増幅させるシリーズ。
おすすめします。
(でも、子供には「ママ、もうお酒飲まないで!」と懇願されて参りました。)
かこさとし 「からだの本」シリーズ



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2009.09.01
子供の夏休みも終わり、給食開始です。
お弁当もっての学童通いも終了。
ああやっとゆっくり寝られます。ブログも書けます。
そんな私の1か月半ぶりの更新です。
みなさま久し振り!
小学生の夏休みの宿題に一応、読書感想文がある。
強制ではなく、意欲のある子供だけチャレンジすればよい宿題らしい。
とりあえず、どんな本が課題図書になっているのだろうと、
2009年の小学校低学年向けの課題図書4冊はすべて親子で読んでみた。
その中で今回、どうしても紹介したかったのが
おこだでませんように
という絵本だ。
・・・泣いた。
何度も泣いた。
読むたびに泣いた。
これは小学校低学年の子供向けの絵本ではない。
小学校低学年の子供を持つ、親のための本だ。
この本を課題図書に選んだ文部科学省(かしら?)は、あざとい。
小学校低学年の課題図書とすれば、親も読むことを見越した選書に違いない。
主人公の男の子は学校でも家でも毎日怒られている。
それが男の子の心にどんな影をおとすのか、
子供を「悪い子」にしてしまうのは、怒ってばかりいる周りの大人なのだ。
できるだけ怒らない子育てを心がけている私だけれども、
そりゃあやっぱり怒りますよ、いろいろと。
でもこの本で改めて、怒るだけではダメなこと、
怒ったら100倍かわいがらないといけないことなど、
身につまされた。
作者の くすのきしげのりさんは、実際に「おこだでませんように」と書かれた七夕の短冊を見たことがあるそうだ。
その短冊をみて、くすのきさんは書いた子供の気持ちを感じ取り、この本を書いたという。
さて、わが子の感想はというと・・・・
「ママ(私のこと)が泣くのが面白かった」
とか、
「ことばが変だった。」(関西弁の本だった)・・・でした。
感想文などかけるはずもない。
だから代わりに私がここに書いておこう。
子供が悪いことをすれば怒ることもあるだろう。
でもそのときは、理由もちゃんと聞いてあげよう。
状況も把握しよう。
怒るだけでなく、褒めてあげるようにしよう。
あなたは大切な人間で、愛されていて、かけがえのない人だと
ちゃんと伝えてあげよう。
そう思いました。涙まみれで思いました。
今年の課題図書だから、図書館でも本屋でもすぐにみつかるはず。
ぜひ、ご一読ください。
人前で泣かないように読むときは気をつけて。

おこだでませんように
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2009.06.10
面白いタイトルだったので読む。
湯山玲子・著 「女装する女」
私も実はそうなんだよね、女装しています。
なーんて書くと、Nolly Chang は実は男だったのか?と思われそうですね。
そのわりに、過去ログに妊娠日記なんてあるのは何故?ですよね。
女ですよ、私は。
でもほっておくとオジサンです、生態は。
このブログでも書いたことあります。
「地図と池波正太郎と、ヒミツの私」
これ、まさに女装する自分のカミングアウト記事です。
つまり、実態はオジサンとほとんど変わらないけれど、
女なので、ちゃんと女らしく外では振舞おう、という
それが「女装」です。
もう男とか女とか、関係ないのよ、世の中は。
がむしゃらに働き、出世を目指す女もいるし、
毎日定時で帰って趣味に時間を割く男もいるし、
呑み屋で焼酎にあたりめを頼む女もいるし(過去の私よ)
自分でお弁当を作ってくる男もいる。
昔は、「女は女らしく」という社会の圧力があり、
仕方なく女装していた女もいたのかもしれない。
その後、反動でユニセックスなファッションが流行った時期もある。
そして今。
今度は女を楽しみ、女であることをコスプレ感覚で楽しむ時代だ。
キラキラでデコラティブなネイルアート。
胸元をみせつけるようなファッション。
下着のような外出着。
網タイツにハイヒール。
フリルに、リボン、ハートのモチーフ。
セクシーであること、
可愛くあること、
それらを過剰なぐらいアピールすることがウケている。
なぜなら、これは「女装」だから。
IKKOさんの美容本が売れ、
はるな愛のメイクやボディケアが雑誌にのる。
女は、「彼女」たちのことをキワモノだとは思わない。
女装する同類であると認識している。
だから参考にする。
本「女装する女」では、ドラマ「働きマン」に的確なツッコミをいれていた。
主演の菅野美穂のキメ台詞「男スイッチ入ります!!」は安野モヨコの原作を読み違えていると。
この指摘に非常に納得がいった。
私は「働きマン」(菅野美穂主演)を見なかった。
理由は番宣で菅野美穂が「男スイッチ入ります!!」と言ってから猛烈に仕事をしてたからだ。
非常に違和感を覚えた。
男スイッチなんか入れなくても、猛烈に仕事してますから。
猛烈な仕事=男スイッチON!というのはバイアスじゃない?と。
原作および、世の中の実情は、
今夜はデート、というときに、
「女スイッチ入ります!!」なのだ。
がんばって女装して、女らしい気配りみせて、
女らしい言葉も使うために、女スイッチいれるのよ。
本「女装する女」は、こんな感じで、今どきの女たちのことを書いた本。
スピリチュアルに走る女や、
エコにはまる女など、
基本的にはキャリアとお金がある、未婚女性の生態を描いた本かな。
子供と人生を楽しむママの話もあるけれどね。
新潮新書ですが、ジェンダー論になるわけでもなく、
こんな女いるいるー、
いや、それはないでしょ、
あ、これ私のこと?
などなど、適当に楽しむ本だと思う。
女装する女 (新潮新書)


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2009.02.20
林真理子さんがブログを立ち上げた。
「あれもこれも日記」
これから日々更新される林さんの素敵な日常も楽しみだけど、
サイドバーに置いてある「林真理子を知る言葉」がすごい!
そこには林真理子さんの小・中・高時代の詩と作文が掲載されている。
「林真理子文学の萌芽を感じさせる視点と瑞々しい文体に驚かされる」
とあるが、本当にそうだ。
私は林真理子さんのエッセイに笑ったり、得心したり
ずいぶん楽しく読ませてもらっているし、
小説も面白く読んでいる。
それなのに私はちっとも彼女のことを知らなかったなぁと思う。
林さんもこれまでご自身のことを、
東京に憧れて上京してきて、
「カタカナ職業に憧れて」コピーライターを目指して・・・と、
茶化していたように思う。
ミーハーで、
コンプレックスをむしろ武器にして
女の本音を面白く書いたエッセイで人気をとった時代を切り取るのがうまい人・・
そんなふうにおもっていたんだなぁ。
その後、小説もたくさん書かれて、
いつのまにか文章力も身につけたなぁなんて
思っていたんだなぁ。
ところが林さんの小・中・高時代の作文を読み、
この人はそれこそ小学校低学年のうちから
とても素敵な文章の書ける人だったのだと知った。
類まれな文才と豊かな教養にあふれる少女だったのだと思う。
決してミーハーでコピーライターを目指したのではなく、
ひょんなことからエッセイストになったわけでなく、
たまたま書いた小説が話題になった、ような人ではないのだ。
林真理子さんのきらめきに、やられた!
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2008.10.31
ちょっと遅くなってしまったけれど、やっぱり一言書いておきたい。
北方謙三「望郷の道」は素晴らしい小説だったと。
日経新聞で2007年8月6日から2008年9月29日まで朝刊で連載されていたが、毎朝とても楽しみにしていた。読むと力がわいてきた。
やっぱり日経の朝の小説は、これぐらい生きる力に満ちていなくちゃ!
その前の「チンギス・ハーン」もモンゴル好きの私には面白い小説でしたが、「望郷の道」はさらに引き込まれました。
まっすぐに正しく、自分の道を生きていくこと。
守るべきものがあること。
この小説読むと、お腹にぐっと力が入る。
毎朝、この小説でシャキーンとしてから、経済記事も読み進めてました。
(食品偽装事件を起こす会社の役員は、この小説をどんな気持ちで読んでいたのか・・。)
さて、かわりに始まった朝の連載小説は・・・。
上海を舞台にした50代の女性企業家と、30代のジゴロ風の男の恋愛小説・・。
なんか眠たくなってしまうんだよなぁ。zzz
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2008.09.27
「なぜ~ 欲しいものを~“大好き”と声にだして 言え~ないの?」
この本を読みながら思い出すのは辛島美登里さんの歌「笑顔を探して」です。
そして私は、「良い靴を探しに」行きたいと思いました。
この本は一人の女の子の成長の物語です。
育ってきた環境や、自分の性質をいったんすべて否定して
打ち消してしまう。 劣等感を感じてしまう。
そっと、静かに、心を閉ざしてしまう。
小さな恋、淡い恋、失った恋、掴めなかった恋。
いつのまにか終わってしまった恋。
いくつかの恋とともに。
そして少女だった女の子は、就職して仕事の中で自分の“想い”に気が付いていく。
自分は何が好きで、何を持っているのかに気が付いていく。
それらはすべて、育った環境や家族、過去の自分に由来しているのだと気が付いていく。
自分を受け入れていく。
「なぜ欲しいものを大好きと声に出して言えないの?」
どうして無理にでも奪えないの?
どうして駈け出していけないの?
この本を読み終わるころには、
それがすべての解決ではないと知るだろう。
私には私の、人の愛し方、物の愛し方があるのだから。
古道具屋で育った主人公の
美しいものへの静かな愛情と、確かな目が、
就職先でイタリア製の上質な靴へと投影されていく過程が良い。
良い靴とは何か、美しいものとは何か。
靴フェチの主人公キャリーの映画「SATC」も見たところですし、
美しい靴が欲しくなりました。
笑顔と靴を探したい、そんな本です。
とてもおすすめ。
スコーレNo.4

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2008.08.14
びっくりしました!すごい作家です。
川上未映子さんといえば、「乳と卵」で芥川賞を受賞したことはまだ記憶に新しい人。
歌手であり、小説家、自称・文筆歌手。
とても美人。
とても気になる人だったので「乳と卵」でもよかったのですが
タイトルに惹かれて読んだのがこちらの本。
「わたくし率イン 歯ー、または世界」です。
大阪弁のしゃべり言葉そのままと、丁寧語が渾然となった不思議な文体。
言葉は流れ出し、溢れ出して行く。
感情そのもののように、
価値観を突きつけるように、
自分の中にある確固とした世界が、外へ飛び出していくように。
言葉とともに溢れていくどうしようもない自我。
これまでたくさんの小説を読んできた。
文章の上手い人、
構成が巧みな人、
素敵な描写をする人、
いろいろな作家がいて私はとても満足していたけれど、
川上未映子の小説は、
新しい文体、独特の表現、
そして強く打ち出される世界観を以って、
他を圧倒するような存在だ。
異質であり、上質。
うねるような展開にドギマギする小説でもあった。
この人、すごい。
わたくし率イン歯ー、または世界

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2008.05.11
経沢香保子さんの「自分の会社をもつということ」は、私にとっては小さな傷だった。
この本が出版されて、
経沢香保子さんがメディアに取り上げられていたころ、
わたしは彼女と逆の道を進もうとして、きつい時期だった。
経沢香保子さんは当時、女性企業家として成功しつつ
第2子を妊娠中。
子供は5人産みたいと公言していた。
年収が3000万円あれば人生を変えられるとも。
仕事と、家庭と、富のすべてを手に入れるべく
着実に上昇気流にのっている女性だった。
わたしも最初は同じように仕事も家庭も、
女性として綺麗でいることも
全部全部望んでいたけれど、
第2子が生まれてから暗雲が立ち込め・・・
どうにもこうにも自分のキャパシティを超え、
何かを減らさないとダメだ・・・となって
結局仕事を軽減する方向に舵取りを始めたのだった。
今思い起こしても苦渋の決断で、
半年いや1年は、自分で決めたことなのに辛かった。
そのころに、この本です。
読む前から打ちのめされてましたね。
目を背けたい気持ち。
読むなんて考えられなかったですよ。
読んだらどうなるか・・。
強い経沢香保子さんと、弱い私。
勝ち組の経沢香保子さんと、負け組の私。
頑張っている経沢香保子さんと、逃げている私。
そんな気持ちになると判っていた。
だから読まなかった。
それを今更読んだのはなぜだろう。
起業したいという気持ちはないから、
おそらく自分の気持ちに切りがついたということだ。
今なら、読める。
読んでも私は傷つかない。
さて、「自分の会社をもつということ」は良い本だった。
彼女がどれぐらい歯を食いしばって頑張ってきたか、
経営者としての孤独に耐えて自分に厳しく生きてきたか、
仕事の進め方、考え方、ビシネスモデルの構築方法、
経験と、秘訣を惜しげなく披露していた。
なぜ惜しげもなく披露するかといえば、
それこそが彼女のビジョンだ。
キャリアを持ち家庭ももち、輝く女性をもっと増やしたい、
自分がそのロールモデルになりたい、
発言力のあるワーキングマザーが増えれば、
世の中をもっと変えていける。
大きなビジョンだ。
素晴らしいと思う。
起業する予定はないし、しばらく家庭重視ではあるけれど
まだまだ頑張る気持ち、世の中に積極的に関わっていく気持ちは
やっぱり忘れないでいたい。
そのためのヒントはこの本にたくさん詰まっている。
私は素直な気持ちでこの本に向き合えただけでも
心からよかったと思っている。
自分の会社をつくるということ

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2008.04.08
4月8日はお花祭りといって、お寺ではお祝い(お花をたくさん飾ったり、来訪者に甘茶を配ったり)することは、数年前に知りました。
ええ、数年前です。
お花祭りはお釈迦様のお誕生日のお祝いと知ったのも
数年前だと思います。
このままいくと、死んだらお墓に入るはずの私ですが、
とんと無知で申し訳ないです。
「おしゃかさまのたんじょう日」という絵本を見つけたので、
良い機会だから子供たちに読んであげようと思いました。
すると、中には驚愕の事実が・・・・!
① お釈迦様は、カピラという国の王子様だった。
山川出版社の「世界史用語集」で裏づけをとったが、本当にカピラの国の城主の息子として生まれたのだった。
② 6本の牙のある珍しい白い象が、流星のように飛んできて、
お妃様のお腹に入る夢を見て、それが妊娠。
③ お妃様が、ルンビニーの庭でアショーカの花の香りを嗅ごうと手を伸ばしたら、
なんとワキの下から !!!!王子様(のちのお釈迦様)がお生まれになった。
④ 王子様は赤ちゃんなのにすぐに立ち上がった。
⑤ 王子様は前に7歩、後ろに7歩、右と左に7歩歩んで、
右手で天を指差し、左手で地面を指差し、
「天上天下唯我独尊」と言った。
⑥ 「天上天下唯我独尊」とは「私はすべてのものたちを幸せにするために生まれて来た」という意味だった。
私は、今まで独裁主義者や、暴君、我がままな人、自分のやり方を押し通すこと、という意味だと思っていた。
とんだ大間違いだった!
⑥ ルンビニーの庭に甘い雨が降り、花が咲き、虹が出た。
よくお寺の近くにルンビニ幼稚園というのがあるが、
おそらくお釈迦様が生まれた美しい庭に由来しているのだろう。
今までインド系のインターナショナル幼稚園?と思っていた。
これも大間違いだった。
ちなみに甘い雨が甘茶をふるまう由来だろう。
⑦ 王様は王子に跡取りとして国を治めて欲しかったので、
王子様に音楽や踊りを見せてお坊さんにならないようにしたが、王子はやっぱり出家してしまった。そしてお釈迦様になったのだった。
どうですか?みなさん。
どれぐらいご存知でしたか?
私は、先祖がお墓に入っていて遺言でもしなきゃ自分もお墓に入る身の上なのに、むしろキリストの生誕のほうが詳しいぐらいでした。
びっくりしましたよー。
(とくにワキの下から生まれたことが!)
とりあえずっ!
ハッピーバースデー!お釈迦様♪
(英語で言うのは変かな)
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2007.12.04
東野圭吾の本「使命と魂のリミット」を読む。
ミステリーであり、医療モノであり、復讐モノである。
緊迫した手術シーンの描写も、
それぞれの登場人物の抱える事情も、
なかなかに面白い。
TVドラマ「医龍」が好きな人には喜ばれそうだ。
ミステリーとしてはどうなのかなぁと思う部分もあるのだが、
登場人物の全てが、使命を背負って生きていることに、
私は深い感銘を受けた。
小説の中でKeyとなるのは
「人には必ず使命がある」ということ。
医者は患者を助けるために全力を尽くし、
看護士はそれをサポートするために全力を尽くし、
警察は犯罪の予防や逮捕に全力を尽くす。
なぜならそれが彼らの「使命」だからだ。
そして、復讐を自分の使命と信じる者・・・。
おのおのの「使命」をまっとうしようとして、
ドラマは動き出す。事件は起きる。
「使命」とは何か、
なぜそれを果たさなければならないのか、
物語の核心はそこにある。
私は考えていた。
自分の使命ってなんだろう?
思いついたのは平々凡々なこと。
結婚をして子供を産み、育てる。
愛のある幸福な家庭を作り、維持する。
これって「使命」なんだろうか?
子供の頃から、周囲の刷り込み効果もあったのだろうけど、
私の人生の最重要事項に、
「幸せな家庭作り」があったと思う。
実際、育児と仕事でいっぱいいっぱいになった時、
仕事を減らして育児重視に切り替えたのも、
自分の「考え方」の結果でしかない。
やっぱり私の使命は
「幸せな家庭づくり」で、
目下その使命をまっとう中、ということなのだろうか。
「幸せな家庭作り」は、言うほど簡単ではないし、
小さい使命だとも思わない。
でもやっぱり、これが「使命」なの?という
割り切れなさも胸に残る。
「人にはかならず使命がある」
医師、看護士、刑事・・・・
彼らの背負う使命の前で、
自分の使命とはなんなのか、
ついつい考えてしまう。
使命と魂のリミット
-東野圭吾

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2007.11.22
昨日(平成19年11月20日)付けの日経新聞夕刊に、原寮の記事が出ていました。
原寮といえば、日本を代表するハードボイルド作家!
探偵沢崎をおいて、日本にハードボイルド無し!
と、私は確信しています。
2004年年末に出た「愚か者死すべし」からもう3年。
原寮さんは、新しい沢崎シリーズを執筆中だそうです。
楽しみだなぁ。
それにしても・・・ね。
今までの著者の写真は、黒いジャケットを着た細身の男性で、
作家・原寮は、沢崎そのものだ!と、
感じ入っていた読者が多いのではないかしら。
ところが、今回の日経にのっていた写真は・・・・
ニコニコ顔のおじさん、ふっくらしてて・・・。
誰だ!この好々爺は!
やや、というかかなり、憧れを打ち砕かれましたが、
楽しみに「沢崎」の登場を待つとしましょう。
今日は本当はブログに写真ものせたかったけど、
面倒なのでやっぱりやめます。
「愚か者死すべし」を読了後に書いたブログ記事はこちら。
かなり恥ずかしい。
酔いしれています。やだねー。
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2007.10.26

ファッション誌を買いに本屋へ行って、ついこんな本を買ってしまったわけです。
鬼平・剣客・梅安の舞台―江戸古地図でみる池波正太郎の世界 
ははは、まいったね。
季節に関係なく、池波正太郎は愛読書なわけですが、
秋から冬にかけては、またいいんですよ。
日本酒の美味しい季節だしね。
池波正太郎の時代小説を読んでいると、
江戸の町が見えるようで面白い。
わくわくする。
東京生まれ・東京育ちの私には江戸の地名もまだ身近で、
四谷から深川までは結構走るよなあぁとか、
気になったりする。
このブログでも以前書いたが、私は地図で確認するのが大好き。
こんな本が飾ってあったら、買わずには帰れないというもの。
そんなわけで、近頃の私は、
剣客商売シリーズを読みながら秋山小兵衛が歩いた江戸を、
細かくチェックするというオタクな状態になっている。
手には焼酎。
もうただのオヤジです。
オジサンです。
加齢臭がしそうです。
会社の女子の皆さんには絶対いえない。
誰にもいえない秘密の私。
今日も髪をアップにして、
黒のジャケットにフレアスカートに、
今年流行のネックレスして、
靴はエナメル素材で、
「ガリレオの福山、カッコイイよねー!」
なんて楽しくお話してたのに。
実は家では、
江戸古地図を広げながら、
右手に焼酎、左手に剣客商売なの、
とはいえないよなー。
一応、「生涯一ガール」でいたいしね。
外の世界では。
さあ、週末です。
江戸古地図で、トリップしたい、そんな夜。
美味しい純米酒もあるしさ~。
そして日曜日は大河ドラマ「風林火山」を見る。
だけど月曜日には、
すべてキレイに隠しさって、
「ガール」顔で出かけるのさ!
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2007.09.26
歌人・穂村 弘さんのエッセイ集。
恋愛についてのエッセイで、短歌がところどころ掲載されている本。
なんかね・・。
思春期なんだよ・・。永遠の思春期。
友人宅で男女集まっての飲み会などで、
穂村さんが「コンビニいってくる」と言う。買出しとかでね。
そうすると、
「じゃあ、私も行く」
という女の子がいる。
穂村さんはドキドキしちゃうんです。
「じゃあ、私も行く」の「じゃあ」ってどういう意味だろう、と。
「(穂村くんが行くなら)私も行く」っていうこと?
だとしたら、それって僕が好きってこと?
それとも、
「(私もちょうどコンビニ行きたいから)私も行く」ってこと?
ひょっとして、おでんが食べたいのか・・・?
などと考え出して止まらないのだ。
こんな感じのエッセイ満載の本。
でね、穂村弘さんというのが、1962年生まれなんですよ。
今年45歳。
うーん・・・・。
男、四十にして惑わず、なんていいますが、
「じゃあ、私も行く」の一言でこんなにたじろいでていいのか。
どーなんだ?
むむむむむ。
しかし、案外、こんなものなのかもしれない。
男の人は純情なのかも~~~。
ほかにも、どうやったらモテるのか、
どうやったら恋愛初期のトキメキが持続するのか、
どうして恋に落ちるのか、
などなど・・・。
愛すべき、迷えるオオカミ。
永遠の男の子のエッセイ。
笑えますよ。
もしもし、運命の人ですか。

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2007.09.19
奥田英朗って、本当に男性作家なんですか~~?
もうびっくりするぐらい、女性の視点で書かれた女性への応援本。
それが「ガール」でした。
5つの短編が入っているのですが、
主人公は、30代独身のキャリアOLや、
既婚・子なしの30代女性管理職や、
バツイチ子持ちの、シングルマザーのキャリアOL.。
それぞれが働き方に悩んでいたり、
女性としての人生の選択について悩んでいたりしている。
男性社会と対立してみたり、助けられたり。
立場の違う女性と反発してみたり、共感してみたり。
立場の似た女性同士でも、反発してみたり、理解してみたり。
立場が似てるからこその反発もある、っていう視点もよい。
女性の微妙な立ち位置を、茶化したり煽ったりすることなく、
ちゃんと書いてるな~~と思いました。
もうひとつ、感嘆したことがあります。
女性のファッションの描写が、的確なんです。
男性作家が女性のファッションを書くと、たいがいが・・・
それってどんなファッションセンス?
いつの時代のファッション用語?
色あいがものすごく不自然・・・じゃない?
年齢に比べてファッションが婆くさくない?
ってな感じで、ひどいんですよ。
しかし、奥田英朗の「ガール」に出てくる女性のファッションは、
すべてきっちり想像がつく。
ここ最近のファッションの傾向をよく勉強している。
近頃の30代女性は昔に比べてずっと若い服装をしていることも
きちんと知っている。
しかし、若すぎるファッションだと気恥ずかしいこともわかっている。
かといって、おばさんくさい格好もしたくないこともわかっている。
ファッションを描くだけで、その女性が見える。
この小説はそんな読み方をしても面白い。
人生いろいろあるけれど、
女はやっぱり「生涯一ガール」なんだと、
その気概を大切にしろよ、と背中押される小説でした。
新装開店・Nolly Changの料理小説セレクション
こちらからお入りください。
Nolly Changの本棚はこちら
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2007.08.28
痛いところを突かれまくって、ようやく癒えてきた古傷のかさぶた抉り取られて、いたぶられた気分。
はー、苦しかった。
「辞めない理由」
ワーキングマザーのつらい立場を冷静に書いていて、胸が締め付けられる本でした。
主人公は、
家事も育児もしながら仕事も完璧。自分の時間はなく、働きに働き頑張っている。
↓
だけど。
その頑張りはたいして評価されず、むしろそんなに大変なら辞めればいいのに・・・と思われている。
↓
さらに。
本人はものすごく大変でも、はたから見れば、仕事も家庭もお金も手にしている女性。
他の女性からは妬まれる対象。
↓
そして。
仕事の出来る女性を敵視するタイプの男性もいる。
そんなわけで、ワーキングマザーには理解者よりも敵が多いのだ。
にもかかわらず、この本の主人公の和美は、
優秀だけど一匹狼タイプなので、ますます敵が増える。
忙しいし、時間に追われてるから、部下に頼むより自分で何でもやってしまったほうが早いと思ってるタイプ。
社内営業なんてまったくできないし、やろうとも思ってない。
こういう性格もどんどん裏目に出る。
結果、役職から降格、左遷されちゃうのだ!
しかも子供は学校で問題を起こし、教師からも他の父母からも
「母親が働いていてちゃんと子供を見てないから」と非難される。
夫にそれを愚痴れば、
「子供の世話を他人任せにしてるのは本当だよね」と言われる始末。
あちゃーー!!!
万事休す、四面楚歌。
これがワーキングマザーの現実なのか?!
私にも実体験として思い当たる部分がいろいろあり・・・。
読みながら呼吸困難をおこしそうでした・・・・・・。
最後、主人公・和美は、持ち前のプロフェッショナリズムを十分に発揮し、
なおかつ欠点も克服する糸口をつかみ、
大きく飛躍していく。カタルシスー!
しかし一方で私は・・・・
結局、自分が積極的に育児に関われる働き方へと転換しちゃって、
和美のような華々しさは得られなかったな。
ため息・・・。
自分が選んだワークライフバランスを後悔はしてないけど、
「壁」にぶち当たった当時に、読んでみたかった本かも。

「辞めない理由」 碧野 圭
以下、昔、壁にぶちあたっていたころのブログ記事。
「出産しても働くには理由がいるの?」
「説教好きに大人の対応・・・?」
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2007.08.17
久々に戯曲を読みました。
T・ウィリアムズの「欲望という名の電車」(小田島雄志・訳)。
T・ウィリアムズの「ガラスの動物園」がとても繊細なお話で好きだった・・というのも1つですが、
昔読んだ「チョコレート・コスモス」恩田陸で、
「欲望という名の電車」のブランチ役は、女優なら誰もが一度はやってみたい役どころ、
というような記述があったので、しっかり読みたいと思っていたら・・今日に至ったのですね。
感想は・・・・。
うーん・・・・・・。
女優って、美しくて弱くて、最後は発狂しちゃう役をやりたいんですかね。
わからない。
ブランチはアメリカ南部の、大地主の娘。
しかし今は落ちぶれて、屋敷も抵当に取られてしまう。
ニューオリンズで暮らす妹を頼って、欲望という名の電車にのってくる。
大地主の娘で、美しく、教養の高い、高貴な女性というプライドを持って。
一方、妹のステラは、そんなプライドはなく、
労働者階級の男・スタンリーと気ままに暮らしている。
場違いなブランチと、乱暴なスタンリーは反発しあう。
ブランチは、高貴な女性として、ミッチという崇拝者を得るが、
実はブランチが、故郷ではお金に困って売春まがいのことをしていたとスタンリーに暴露され、
ミッチという崇拝者も、彼との結婚も、すべてを台無しにされてしまう。
挙句、ステラが産気づいて病院に運ばれた夜、
ブランチはスタンリーに乱暴され、発狂し、精神病院へと送られる。
スタンリーは、アメリカの新しい時代の象徴のような男。
乱暴で粗野・・・それはワイルドでセクシーともいえる。
自分の力で、切り開いていく男、
アメリカンドリームやゴールドラッシュの担い手を連想させる男。
アメリカを興す新しい労働者階級の象徴だ。
一方でブランチは、古き良きアメリカの象徴であり、
時代の波に呑みこまれて、滅んでいくものの象徴。
持っていたものがすべて取り上げられ、
最後に残っていたプライドまでが踏みにじられ、
気が狂っていく女。
こういう役が、人気あるんですかね。
女優さんには。
確かに、どういうふうに発狂するか、は魅せ所ではある。
大げさすぎては滑稽。
昔、大竹しのぶのマクベス夫人をみたが、
目が焦点を失い、言葉がかすかにうわずり、微妙に手足が震えているのが、
なぜか新国立劇場にいる観客全員に伝わる・・・というのを見た。
不思議だった。
だって私、視力悪いのに。(そこか?)
それはさておき、
ブランチより、スカーレット・オハラのほうがよくないかな。
南部の没落貴族で、財産も恋人も幼馴染もすべて失っても、
「でも私にはタラ(故郷の土地の名前)があるわ!」と
立ち向かっていく女のほうが、断然カッコイイ。
哀れみを誘う役よりも、
観衆の心をわしづかみにするような光を放つ役のほうが、
女優として演じ甲斐があるように思うが・・。
(と、思ったら、ビビアン・リーって、両方演じてるのね。すごい!)

「欲望という名の電車」テネシー・ウィリアムズ作
(ただしこちらは小田島恒志・訳です)
過去記事: 「チョコレートコスモス」 恩田陸
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2007.08.01
児童書を読みました。
ロシアからアメリカに移り住んだものの、両親は早くに他界。
18歳の姉が、働きづめに働いて、妹を学校に行かせている。
狭いニューヨークの不衛生なアパートに暮らし、
固いパンや、ひび割れた卵を買い求めての粗末な食事。
そんな主人公・ドーシが、貧しい子供のための支援プログラムで、
2週間を田舎の農園ですごすことになる。
自然に恵まれた土地と、豊かな食生活に驚き、
宗教の違い(ドーシはユダヤ教徒)があったり、
年の近い子供と、仲良くなったり、反発したり・・・。
2週間の休暇で、ドーシは心身ともに大きく成長する。
すきなんだよねー。こういう話。
純粋無垢な少女が、人々の善意に触れて、
さらに自らも善意をもって生きていく、
人間性善説にもとづくお話って、希望がわいてくる。
おまけに、私が大好きな「赤毛のアン」へのオマージュ本でもあった。
主人公は赤毛の少女で、愛読書が「赤毛のアン」なんだもの。
姉はいるけど親はいないとか、
自然豊かな田舎へ(2週間だけど)引き取られるとか、
そこで「腹心の友」ができるとか。
もー赤毛のアン、バリバリじゃん!
大好きっ。
主人公が大切にしている、友人からの寄せ書き集とかも必見です。
さらに著者あとがきを読むと、
著者ジョハナ・ハーウィッツの人道的な想いが伝わってきて、
ますます好きになる。
ときどきこういう本を読んで、
「きらきらした気持ち」になるのが、
私の幸せな時間。
「ジェリコの夏」 ジョハナ・ハーウィッツ著

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2007.06.10
2005年 本屋大賞に輝いた本である。
角田光代「対岸の彼女」
アマゾンの商品説明によれば・・・
30代、既婚、子持ちの「勝ち犬」小夜子と、独身、子なしの「負け犬」葵。立場が違うということは、時に女同士を決裂させる。女の人を区別するのは、女の人だ。性格も生活環境も全く違う2人の女性の友情は成立するのか…?
とある。
私もそのような書評や紹介を読んでいて、
「対岸の彼女」は既婚・子持ちの勝ち犬女と、独身キャリアの負け犬女の
対立と、そして心の融解を描いた作品なのかなぁと思ってました。
しかし!!
読んでみて、それはずいぶん違うと思いましたよ。
だれだ、こんな紹介文書いたの??
そりゃあ当時、酒井順子の「負け犬の遠吠え」がベストセラーになり、
女性を負け犬・勝ち犬でくくることが大流行してましたよ。
だから出版社がその流れに便乗したんだと思うけど、
そんな安易な便乗いらないよ!
負け犬だの勝ち犬だのって言葉に頼らなくても、
この本、「いい本だよ」ってもっと胸はっていいですもん!!!
ええ、いい本でした。
思わず落涙。
角田光代の本で泣いたの初めてかも。
感動的なヒューマンストーリーではないけどね。
前置きが長くなったがこの本は、
人が社会で生きていくための本質がテーマで、
いくら心を閉ざしても、やはり人と関わらなければ生きていけない、
そして誰とどのように関わっていくか、
ほんの小さな一歩をどう踏み出していくか、の話だ。
独身のキャリアウーマン(女社長)というよりも、
やり手で社交的に見える女、葵。
しかし彼女にはイジメられた過去と、
たったひとりの運命的な友人との刹那の時間がある。
既婚・子持ちの勝ち犬女というよりも、
内向的で地味な女、小夜子。
彼女はママ友達付き合いや、姑との関係に悩み、
学生時代も友人関係に恵まれなかった。
2人の女は、表面上の性格は違うけれど、
ともに人間関係において、
疎外感、孤独感、挫折感を味わっている。
臆病な気持ちを持っている。
そんな2人が出会い、
それぞれ過去の想いや現在の問題に憂鬱を感じながらも、
お互いに助け合っていく物語だ。
人は、他者と関わっていかなくては生きていけない。
それが社会だ。
「それが社会なんだから仕方ないよね・・。」と、
つまらぬ人間関係に身を投じ、我慢している人もいるだろう。
けれど、「あなたとともに頑張りたい」と、
積極的に他者と関わることが出来たらどんなに素敵だろう。
この本はそんな話だ。
主人公2人、とくに、女社長・葵の過去がせつないだけに、
葵と小夜子が、互いをフォローしあい、
相手を必要としていく過程に、つい感動てしまう。
ちょっと話は邪推になるが、
角田光代も大人になったなぁ・・・と思った。
昔の彼女の小説は、
いい年した大人が現実逃避的に東南アジアを放浪したり、
東京にいてもフラフラと無為に過ごしていたり、
社会の中で生きていくことや
他者との関わりを、あえて避けている人間ばかり出てきた。
フリーター小説、なんて呼ばれてた。
そんな角田光代が、社会に自ら出て行く女性を描く。
この数年で彼女自身の成長もあったのかもしれない・・・・
なーんてえらそうに考えたりしました。
スンマセン。
「対岸の彼女」 角田光代

過去記事:
「角田光代が嫌い(だった)」
「太陽と毒ぐも」角田光代
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2007.06.02
2007年5月31日付けの日経新聞夕刊に
「地図の好きな女」(by梯 久美子)というエッセイが載っていた。
梯さんは、
「夜、眠れないときには、地図を開いて眺めることがある。」
そうで、
「地図を読むのが得意」
で、
国際線の飛行機に搭乗中は、地図チャンネルを見ながら、
飛行機の現在地を想像して
「あーこのテレビ地図、もっと詳しかったらいいのに」
と盛り上がるそうである。
・・・・・共感。
私も、地図が大好きな女である。
飛行機の中では、映画の合間に地図チャンネルもこまめにチェックする。
より詳しい地図が欲しくなるという梯さんにも教えてあげたいが、
飛行機の機内誌にはたいてい世界地図と航空ルートが載っているので、
地図チャンネルと照らし合わせながら、現在地確認するのだ。
もしパソコンを持って搭乗していたら、Google Earthで確認したい。
楽しい作業だろうなぁ~~。
今、日経新聞朝刊の連載小説「チンギスハーン・世界を創った男」も
毎日楽しみに読んでいるが、
これも地図で確認しながら読むと、ワクワク感が増す。
まず、普通の地図帳で、ブルカン山やアルタイ山脈を確認。
さらに!世界史地図帳で12世紀の勢力地図を見て、
モンゴル周辺の勢力分布や、国の大きさを確認。
12世紀は、国ともいえないような部族集団であったのに、
13世紀になると、ユーラシア一帯が○○汗国になるのだから、
チンギスハンはすごいものだ。
地図は一瞬でそうゆうことを教えてくれるから面白い。
「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだときは、
パリの旅行ガイドについている地図を片手に、
主人公たちの逃走経路を確認。
「天使と悪魔」ではイタリアの旅行ガイドを確認。
自分が旅行したときに通った道が出てくると、「おお!」と感嘆。
武田百合子のロシア旅行記「犬が星見た」を読んだときは
やはり旅行経路を地図で確認。
その距離の長さに鉄道旅行の楽しさも疲れも想像される。
もちろん、何の目的もなく
ぼんやり地図を見ているだけでも楽しい。
知っている地名をみつけて、
あの街はここにあるのか~。と思ったり、
どの国とどの国が隣接しているのかや、
国の大きさなどを地図で見ると、
難しい外交問題も、なんとなく理解しやすくなる。
東京都の地図も大好きで、
この街とこの街は、電車は通ってないけど、
あんがい近いのだな、とか、
歩いたらどれぐらいかかるかなとか、
いろいろ考えるのが楽しい。
こんな趣味、理解できない人も多かろうが、
本当に私、地図をみながらお酒を飲むのも至福の時間だったりする。
ワインにチーズもいいけれど、
焼酎に地図もなかなかいけます。
なんてくだらないことを思いついたあたりで、今日の更新はお開き。
一家に一冊、あると楽しいですよ!
「世界史年表・地図」

ブログ内関連記事
「旅行記・地図帳・年表があれば」
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2007.05.16
映画「バベル」を観る。
バベルとはバベルの塔のバベル。
その昔、人間が神に近づこうとして建てたのがバベルの塔。
しかし神の怒りに触れ、人間は離れ離れにされた。
だから異なる言語、異なる人種が地上の世界には存在するという。
映画「バベル」は、さまざまな壁を映し出す。
人種の壁、言葉の壁、国家の壁、国境の壁、障害の壁。
舞台はモロッコ、メキシコとアメリカの国境、日本とあり、
非常に愚かしい衝動が原因で、窮地に陥る。
それぞれが、壁に阻まれて不安定な状態におかれていく。
壁におびえる彼らを結びつけるのが、
一発の銃弾というのは、なんとも皮肉だ。
それぞれの登場人物が性的に鬱屈していることも興味深い。
そして、この分断され、不安定な世界を生きていくための
ひとつの解を暗示して、映画は終わった。
思い出したのは、G・ガルシア・マルケスの本「百年の孤独」だ。
この本は、この世のどこかにあるようなないような土地の
ある一族の興亡をつづった極めて幻想的な本だ。
原始社会のようであり、神話のようでもある。
ある一族の長い長い物語は、
家族の歴史であり、国家の歴史であり、文明の歴史である。
充実し、発展し、拡大し、
退廃し、縮小し、内にこもっていく。
広大な世界と、
家族という最小の単位。
性を内包した物語。
映画「バベル」と本「百年の孤独」は似ている。
淋しいけれど、希望がなくもない。
人間の物語だ。
映画「バベル」オフィシャルサイト
「百年の孤独」 G・ガルシア=マルケス

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2007.05.05
GWですね。
お天気にも恵まれて、我が家は行楽三昧でしたが、太陽の真下で長時間過ごすことに身体が疲れてしまい、今日は家でごろごろしています。
そんな今日、読み心地のいい一冊。
「絶対、最強の恋のうた」を紹介します。
2ヶ月ぐらい前かしら、本屋でずらーっと並んでいました。
私は「ああ、最近はやってるケータイ小説の単行本かな」ぐらいに思っていました。
なんとなく、イメージですが・・・
10代の女の子が主人公で、
ドラッグあり、暴力あり、奔放なセックスあり、
イジメもあれば、親による虐待もあったりしちゃうよーな、
身も心も傷だらけですよ!的な状況で。
でも本当はすっごくピュアでまっすぐで、
ある日、本当の恋をしちゃって・・・
この恋があれば、アタシもう何があってもダイジョウブ!
なんていう話かしらね?・・・・と思っていたわけです。
手に取ったのは、
そうゆう小説が流行りならば・・と社会勉強でもあり、
ある種のマーケティング的な発想でした。
純粋に読書心を揺さぶられたワケではなくて。
そのせいか放置すること1ヶ月。
今日やっと読んだのです。
なんかかるーく読み流したい、そんな本、というつもりで。
そうしたら、とても爽やかな本だったのですよ。
(ケータイ小説でもありませんでした。)
主人公は20歳前後の大学生で、
恋人には優しさと礼儀正しさを持っていて、
でもちょっと浮かれてしまう可愛いところもあって、
友人ともよい付き合いをしていて。
何も大きな事件などなく、
大学生の子たちが、恋したり仲間とつるんだりしながら、
ばかばかしいほど単純に、すがすがしく日々すすんでいく。
何度もよみかえしたいとは思わないし、
熱く感動することもないし、
深く考えさせられることもない。
でも、さらりと読めて、爽やかになる一冊であることは確か。
何しろ世界三大美徳のうち2つは
「礼儀」と「仲良し」と断定するような大学生たちのお話。
手をつなぐように心をつなぐ。
明日からの優しい人間関係づくりに一役買いそうな本ですよ。
お茶でも一杯、というような感じで
本でも一冊、というようなときにどうぞ。
「絶対、最強の恋のうた」中村 航

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2007.04.18
本日(2007年4月17日)の日経新聞夕刊の文化欄に、
素敵な職業を発見しました。
その名も「選書業」
仕事内容は「書棚を編集すること」
本屋・図書館の書棚といえば、
小説は作家順に並べ、
学術書は、政治・経済・宗教・地理・・・など分野ごとに並べるのが常。
しかし「選書業」の人にまかせると、
たとえば「環境」という書棚には、
レイチェル・カーソンの本の横に
宮沢賢治の童話があり、
次に漫画の風の谷のナウシカが並ぶ。
といった具合らしい。
(夕刊記事から)
本に対する知識と、読書量
さらにセンスが問われる仕事だ。
面白そう!!
では対抗して私なら・・・
**Nolly Changが選ぶ「環境の本棚」**
アル・ゴア「不都合な真実」
(まずは旬で定番な1冊。私は読んでません)
童話「もぐらとずぼん」
(これぞスローライフ、LOHASの原点!)
漫画「ぼくの地球を守って」
(そのまんまのタイトル!芸なのないセレクト!)
まだまだ修行中です。


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2007.04.08
マタギを題材にした小説。
舞台は大正時代の東北、貧しい村。 そして山。
描かれているのは、男、女、獣。 そして山の神。
不思議な魅力で引き込まれてしまった。
初めて知るマタギの世界。
山のしきたり、マタギの掟、山人(やまんど)の言葉。
山の神や獣(とくに熊)への畏敬の念。
生きていくために、現金収入を得るために、
冬山に入って、獣を獲るということ。
命と背中合わせの危険の中で、人間が自然と一体となって
猟をする。
生きていくこと、生き延びていくことの切実さ。
一方、人里の中で、男と女は深い業のなかに生きている。
理由あって、秋田を離れたマタギの男。
貧しさゆえに、12歳で遊郭へ売られた女。
業と、欲と。
まっすぐな気持ちと、現実と。
すべてを呑み込んで、
生きていくことは生半可なことではない。
そして、また山。
すべてをそぎ落とし、自分と対峙するマタギの男。
男の前にあらわれたのは・・・。
私にとって、そしておそらく大多数の人にとって未知の世界、
ページをめくれば、入っていけます。
どうぞマタギと邂逅してください。
「邂逅の森」 熊谷達也

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2007.03.28
本読み日記。
興味深いレシピ本。
んーでも、レシピ本なんて言い方でよいのかわからない。
太平洋戦争の頃、日本人は何を食べて生き延びたのか、
それを知る貴重な資料と言うべきか。
戦争中も発行され続けた数少ない婦人雑誌の料理ページを参考に、
食糧難の時代をリアルに切り取った本。
そのへんの雑草の食べ方、
これまで捨てていた部分の食べ方、
調味料の代用品の作り方、
少ない食材を皆で分け合う方法・・・。
大変だったんだなぁ・・・ということが
とても具体的にわかる。
わたしの両親は戦争中はまだ子供だったので、
お腹を空かせていた記憶のほうが鮮明だ。
しかし当時、親だった人は、
毎日子供たちに何を食べさせようか、
どうやって食料を得ようか、
ものすごく必死だったんだろうと思う。
昨年末に映画「父親たちの星条旗」を観て、
勝ったアメリカでさえ、多くの戦死者が出ており、
たとえ生き残った兵士でも、
心に深い傷を負っていることを知る。
続いて「硫黄島からの手紙」を観て、
アメリカに友人もいる日本兵が、
複雑な感情を押し殺して、徹底抗戦した姿をみる。
戦場で命はとても粗末に扱われる。
そして、「戦下のレシピ」は、
戦場でなくとも兵士でなくとも、
生きていくためにどれだけ大変な時代であったかを教えてくれる。
パラパラとでいいから、
是非 目を通して欲しい本。
「戦下のレシピー太平洋戦争下の食を知る-」斎藤美奈子

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2006.11.12
心にまたひとつ、小さなひだができて、悲しみの中にも温かい血液が流れ込むような、心に刻まれる本だった。
映画にもドラマにもなっているので(私はみていないけど)ご存知の方も多かろう。
松子という一人の女性の悲しい人生を書いた本だ。
風に揺れてる朽ちかけた伝言板
裏切られるよりさまようほうがいい
福岡で生まれた松子だが、いくつかの事件がおこり、教職を追われ、そのまま失踪。
その後は恋人に尽くした挙句に自殺されたり、遊ばれたり、利用されたり、むくわれない。
仕事も転々とし、トルコ嬢にもなる。
覚せい剤にも手をだす。
同棲していた男を殺して服役する。
そして最期、何者かに殺されて、東京のぼろアパートで死体となって見つかるのだ。
便りがない日々に淋しさだけつのってゆく
影を引きずるぐらいなら名もない鳥でいい
最初は、ああああ~~究極のだめんず・うぉーか~ね・・・。と
かなりシラけた気持ちで読んでいた。
教職時代の事件ひとつとっても、世間知らずで判断能力に乏しく、プライドだけ高くて、場当たり的で、人の気持ちを考えなければ、自分の後先も考えない。
バカ女なのだ。
陽炎の様にゆらいでる約束の場所
はるか遠くの街
けれど、この本のうまいところは、
松子の死をきっかけに初めて松子伯母の存在を知った甥っ子の目をとおして松子の人生をなぞることで、ぐっと松子へ感情移入しやすくなる点だ。
誰かが全部幻だと教えてくれたら僕は
何処へ行くだろう
たしかに松子は、バカだ。
愛されたいと思うだけの何も考えてない大ばか者だ。
なまじ美人でスタイルがよいから、いろんな男が口説いてくる。
「愛している。ずっと一緒にいる」
そう言われればすぐに信じてしまう。
主を探している はぐれた雲に話しかける
何にすがった時に一つの旅は終わるんだろう
自分を愛してくれる男、自分のそばにいてくれる男。
熱っぽく口説かれれば、すぐにその気になる。
月は今日の夜もしんしんと照らしている
想うのはただ愛しい人の胸で眠りたい
松子は頭が良くて、器用で、一生懸命に仕事をし、
男に尽くす、男を信用する、そして裏切られる。
たとえ幻であってもせめて一夜の
ぬくもりに酔いしれたい
彼女の人生最後の10年は、またしても恋人に裏切られ、もう結婚も子供も自分には無理だろうという絶望の中、失意の日々だった。
裁判所の判決文にあるように、世間の常識は彼女を、
いくら幼少期に父親の愛が得られず、屈折した心を持っていたとしても、あまりに行動が場当たり的で、唐突で、うまく対人関係が築けない人間と言わざるを得ない。
けれども、おそらく誰の心にも愛を乞う本能があり、
誰かに愛されようと、そして自分もどんなことをしてでもその人を愛そうと望んで、そのために頑張って、いったい何が悪いのか。
私は松子ににらまれた気がした。
心の奥で消えかけたわずかな明かりを
もう一度両手につつんで
結局、松子は世間の悪意をすべて背負い込んで、死んでしまった。
陽炎の様にゆらいでる約束の場所
はるか遠くの街
映画はミュージカル仕立て、ドラマもそれなりに明るく作っているらしい。
理由はあまりにも暗い話だから、あえて楽しくしたとも聞くし、
松子の淋しい一生の中にも、恋人と暮らして楽しかった時間もあるはずだから、そこを強調したかった、という話も聞く。
でもやっぱり松子はずっと淋しかったんだと思う。
父親に褒められ、みんなに賞賛されるような人生を捨ててしまった日から、ずっと彼女は淋しかったはずだ。
本を読み終えるころ、私は松子をけなすことなく、ただ彼女の悲しみに、打ちひしがれた。
誰かが全部幻だと教えてくれたら僕は
何処へ行くだろう
「嫌われ松子の一生」を読んで、すぐに聴いた曲は、
山崎まさよしの「名前のない鳥」
寂寥感いっぱいのせつない曲だ。
(本文のところどころに引用したのはこの曲です)
私は松子が、故郷の九州や約束されていたはずの幸せな未来を想って、流しただろう涙を想った。
愛する人の胸に抱かれることだけが頼りであった松子の心を想った。
松子の心の中でもう一度灯りかけた明かりを、消させたくなかった。
とてもとても切なかった。

「嫌われ松子の一生」 山田宗樹

山崎まさよし「HOME」
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2006.10.26
日経新聞の夕刊で昨年連載されていた小説「ホーム・ドラマ」の単行本化を待っているのだけれど、なかなかされない。
この小説は、家庭の中ですら経済原理が働いて、家事・育児すべての労働が金銭に換算され、自由競争にさらされるなか、家族は愚か人間そのものが荒廃していく・・・というような経済至上主義の顛末を書いていて、実験的な意欲作だった。
毎日楽しみに読んでいた。
単行本の状態で、もう一度じっくり読みたいと思った。
ところがなかなか単行本が出ない。
どうしたことか。
多分・・・・なんだけれど、榊 東行さん、煮詰まってる??
正直言って経済学を学んだことが一度もないので、こんなこと言える身分ではないのだが、「ホーム・ドラマ」の夕刊での最終回はやや物足らなく、もっと書き込んでほしいと思ったものだ。
おそらく大幅な加筆、なんなら多少の修正も入れて、経済原論と実社会をたたかわせて欲しいと思った。
もちろん、望むは易く、望まれる側の榊 東行氏にとっては難題なのだろう。
「三本の矢」で、長銀の破綻を半年前に予言し、現実と小説の違いがわからなくなるほど、リアルな作品を書いた作家だ。
完ぺき主義者なのかな。
だから「ホーム・ドラマ」も、納得のいくかたちでしか出版したくないのかもしれない。
榊さん、私 待ってますよ!
頑張ってください!
日経ホームページ、「ホーム・ドラマ」のあらすじはこちら。
「三本の矢」榊 東行 アマゾンのサイトはこちら。
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2006.10.23
本読み日記。
島本理生の「リトル・バイ・リトル」はとてもよい作品。
「ナラタージュ」よりも好きだな。
18歳の女の子・ふみの毎日。
とくに大きな事件は起きない。
母親が2度目の離婚をし、父親違いの妹とくらす18歳。
高校を卒業したが、経済的な理由で大学進学をとりあえず1年のばし、
自分で学費をためたり、生活費の足しにするためにアルバイトを始める・・。
そんな毎日のなか、書道教室の先生との交流や、
キックボクサーの少年との出会いがある。
本当に、そんだけなんだけど、
読んでいてなんとなく落ち着く。励まされる。
ふみはいわゆるフリーターだし、
これからの生活にも不安定要素が多すぎる。
でも、周囲の人々との関わりの中で、
本当にちょっとずつ、人は成長する。
何気ないことに、人は元気付けられ、
やっていけそうだと思う。
著者の島本理生はあとがきに書いている
「明るい小説にしようと、最初から最期までそれだけを考えていた。淡々と流れていく日々を照らす光を書きたかった。」
その試みは、見事に作品に反映されている。
主人公ふみは、暗い夜の海に、たよりないボートで漂流しているようなものだ。
でも遠くで灯台の光が彼女を照らしている。
だからなんとなく、安心している。
きっと、大丈夫だと。
私は2つの面で、この小説をすばらしいと思う。
1つは上に書いた、この小説のもつ世界観。
淡々と流れていく日々を照らす光の優しさ、に共感できたこと。
もうひとつは、イマドキの若いモンの生き方が、皮肉だけどよく描かれていることだ。
主人公は悪く言えば、あんまり考えてないというか、危機意識がない。
ふみは、大学に行くお金がないからなんとなーくフリーターになってしまう、しかし選んだ職種はビラ配りや看板持ちで、つまり他人との余計な接触が面倒なだけだ。
それで1年後に十分な進学費用を用意できるのか、家計を助けることができるのか、そういうことはまるで考えていないふうだ。考えたくないのかもしれないけど。
チャキチャキしたノー天気な母がいて、やさしいボーイフレンドができて、良い師である書道の先生がいて・・・。
自分はなんとかなるかなーと思っている。またはそう思いたい。
暗い夜の海にさまよう船にのっている主人公。
遠くから照らす灯台の光に安堵して、そのまま波に揺られているのだ。
灯台の光を目指して漕ぎ出そうとはしない。
朝日に向かって漕ぎ出そうとはしない。
この本は、青少年のための啓蒙書ではなく、小説なんだから、別にそれはそれでいいのだ。
私もこれ以上説教臭いことは言うまい。
私はむしろ、主人公ふみって、イマドキの若者の典型なのかなーと思う。
ふみが特段、人よりいい加減とか、人より投げやりという感じでもない。
お金がないから進学できないけど、それも仕方ない。
バイトはしなきゃだけど、面倒なことはしたくない。
これからどうなるかわかんないけど、とりあえず今日寝るところと食べるものはあるし、母も妹も、恋人も元気だし。
それでいいかなぁ・・・。と。
こういう感覚を、とても自然に、むしろ好意的に描いている島本理生の筆致が、とても優れていると思う。
ふみのことを優しく見守って生きたいような気持ちになる。
多分、私が書いていたら、ダメダメな18才の主人公というふうになって、もっと意地悪い話になっちゃったもの。
読んだあと、やさしい気持ちになれる本。
モラトリアムな若者たちにも、やさしいエールを送りたくなる一冊です。

「リトル・バイ・リトル」 島本理央
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2006.09.28
この本が書かれたのは、昭和38年らしいんだけど・・・・
まったく色あせないどころか、現代日本においてもタイムリー???って言えちゃう内容。
父を5年前に亡くし、母と横浜に暮らす13歳の少年。
その母に船乗りの恋人ができ、男は海を捨てて商売を学び、陸の生活を選ぼうとする。
少年の義父となって。
海を捨て、父親らしく振舞おうとする男への憎しみが募る。
少年は、首領と呼ばれる怜悧な少年、その仲間とともに、
母の恋人(義父)の殺害を企てる。
首領と呼ばれる少年が怖気づく仲間に向かって言う。
刑法第41条
十四歳ニ満タザル者ノ行為は之ヲ罰セズ。
この刑法41条は、大人たちがつくった童話なのだ。
子供に対する夢。
可愛い、かよわい、罪を知らない児童という幻想。
どうせ子供には何もできないだろうという油断。
童話なのだ。
とても危険な童話なのだと。
そして14歳になる前に、少年らは大人たちの童話に感謝しながら、殺人という自由を享受しようとするのだった。
ああ、いやだいやだ。
嫌な話だ。
だけど、14歳未満の児童による、殺人・殺人未遂がたびたび起こり、
そのたびに刑法見直しが議論される昨今。
刑法そのものの見直しもいいが、危険な童話の根本にあるものを、
大人ははっきりと目をそらさないで考えなおしてもいいのかもしれない。
三島由紀夫の作品、あまり好きじゃないんだけど、
またよんでみようと思う。

「午後の曳航」三島由紀夫
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2006.09.26
秋です!
秋の夜長はやっぱり読書。
今日は断然おすすめの一冊を紹介します!
それは「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグです。
Gガルシア・マルケスの「100年の孤独」といい、プイグといい、
ラテンアメリカ文学ってなんでこんなにも幻惑的で魅惑に満ちているんでしょう。
たまらないわ~。
「蜘蛛女のキス」は、ラテンアメリカの牢獄の中で、2人の囚人の会話で話が進みます。
ひとりは、政治犯。
もう一人は未成年の少年に性的いたずらをした、ゲイの男。
退屈しのぎにゲイのモリーナが、昔見た素敵な映画を細かく政治犯バレンティンに話していく。
その映画描写が素晴らしく、まるで映画を見ているような気持ちになる。
これが最初の罠なのかもしれない。
いつしかモリーナとバレンティンの関係が少しずつ変化していく。
語られる映画の中にも、気持ちの変化が刷り込まれている。
そして迎えるラスト・・・。
何が素晴らしいか、
なぜこの本に惹かれるのか、
多分、惑わされていく感覚・・・なんだと思う。
登場人物は囚人の男2人なのに、
ゲイのモリーナがオネエ言葉を使うせいで、
男と女の会話をイメージしてしまう。
設定は、暗く寒く汚らしい監獄の中なのに、
語られる映画のせいで、
読み手の私の心は、戦時下のパリや、南国のプランテーションへと飛び立ってしまう。
獄中の囚人男2人・・・から私の魂ははるかに開放されていく不思議。
この小説のトリッキーなところだ。
自由を愛し、搾取を憎み、世の中をかえ、人々の意識を変えようとする囚人と
生まれついての性を捨て、とがめられることなく生きて生きたい囚人、
2人を縛り付けているのは、果たして監獄だけなのか、それとも・・・
閉ざされた監獄の中でむしろ開放されていく2人、
閉ざされた監獄の話を読んで、イメージを膨らませていく読者。
そして私は、毎夜 監獄で語られる映画の話の妖しさに、からめとられていきました。
是非2度読みしてほしい1冊です。

「蜘蛛女のキス」プイグ
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2006.08.26
古本の愉しみを教えてくれる本、「古本道場」を読んだ。
岡崎武志が師匠、角田光代が弟子という体裁で、リレーエッセイのような形式。
東京の古本屋を毎回角田光代がまわり、角田光代の本の趣味や思い出などもつづられていて面白い。
まあ別に、古本屋じゃなくても、本屋めぐりも図書館にいくのも、
同じように本との出会いは愉しい・・と思うんだけどさ。
古本屋ならではの愉しみっていうのは、やはりあるのだ。
本なんか、いつでも手に入る。
本屋や、古本屋を歩いて足で探さなくても、
ネットで検索してそのまま「カゴに入れる」でOK!
ということも多い。
でもねー、本って、毎日たくさん出版されてて、
同じように絶版になる本がたくさんあって、
流通にのらなくなること多いんですよね。
そういう本もアマゾンのマーケットプレイスで、手に入ることもあるけどさ。
私の家は、本とCDがものすごくたくさんあって、
新しく買うのはもうやめよう・・・て思ってしまうんだけど、
ああこれは!と思った本はやはり手元に置いておかねば。
また今度買おう、
また読みたくなったら、図書館で借りよう、
そう思ってると、もう手に入らなくなることもあるんだなー。
「古本道場」を読んで、一番の感想は、
本は流通してるうちにちゃんと買っとけ!ということ。
なんか変な感想だけどね。
DVDや、CDも同じ。
流通から外れちゃう前に、大切なものはちゃんと手元に確保しておこう。
今まで、欲しかったのに買わなくて、
そうしたら今はもう買えなくなってる・・・そんな本があるのです。
CDやビデオがたくさんあるのです。
古本屋さんに行ってみようかな。
ブックオフなんかも侮れませんよ。

「古本道場」角田光代・岡崎武志
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2006.08.22
夏の高校野球が終わった。
決勝戦は素晴らしい投手戦。早実も駒大苫小牧も、すごかった。
すべての一球に、意味がある。
考え抜かれて投げられ、全力で投げられる渾身の一球。
一球、一球のドラマ。
思い出したのは、この本。
あさのあつこ「バッテリー」
この本を読んだすぐ後は、うまく感想を書けなかった。
この本が、息が詰まるぐいらい野球への気持ちでうまっていて、
わたしは呑みこまれてしまったのだ。
野球はビール片手に観るもので、プレイしたことなど一度もない。
もっと言えば、野球どころじゃなくスポーツにのめりこんだこともない。
そんな私が野球と、野球に真剣な少年たちを描いた小説に、
感動したとか、共感したとか、安易すぎて言えなかった。
タイトルどおり、ある少年バッテリーを描いた小説。
ボールによばれるように、投手になった少年、巧。
ただ全力でボールを投げられるなら、それでいい、何もいらない。
チームワークとか、友情とか、興味が無い。
キャッチャーがいる。
ミットめがけて投げ込んでいく。
それだけ。
投げることがすべてだ。
もうひとりは
最高のボールを受けることに喜びを見出すキャッチャー、豪。
しかし天才・巧の傲慢な態度の前に、
そして天才ではない自分に打ちのめされる。
このバッテリーの、一球一球をひりひりする想いで読んだ。
楽しいだけのスポーツでもなく、
友情物語でもなく、
すがすがしい青春物語でもなく、
登場人物ひとりひとりが、野球をしながら自分と戦っている。
苦しくなる。
いい小説だった。
すべての一球に、真剣なドラマがある。
高校野球・夏の決勝は、そのことを十分すぎるほど思い出させてくれた。

「バッテリー」 あさのあつこ著
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2006.08.18
江國香織は、家族を描いた小説が素晴らしいと思う。
「流しの下の骨」とか。
「間宮兄弟」はそのまんま、30代の兄弟2人を描いた小説。
恋愛経験もないまま30歳過ぎた兄弟が、2人で生活している。
その生活は、むさくるしくもなければ、
孤独でもなく、さびついてもいない。
豊かで健康的だ。
散歩が好きな兄弟。
八百屋を冷やかし、季節の野菜を眺めるのが好きな兄弟。
ジグゾーパズルに夢中になる兄弟。
読書を思う存分楽しむ特別な日がある兄弟。
ささやかな季節行事と家族行事を積み重ねる兄弟。
小説としては、ある夏兄弟の前に女性が数人あらわれて・・・となるが
物語の行方は読んでからのお楽しみだ。
小説を読みながら、わたしは嬉しかった。
思い出す。
結婚前のこと。
仲良し姉妹だった私たちのこと。
2人で決めた暗号や、暗黙のルール。
家族のおかしな決まりごととか。
そして思いつく。
今の私のこと。
わたしたち夫婦のこと。
定番の散歩コースがあり、
季節ごとに是非食べなくてはいけない料理があること。
休日の朝ごはんのルール。
朝のむお茶のこと。
考え出したらキリがないほどに、たくさんの、
わたしたち夫婦だけの決まりやルールや楽しみがあること。
「間宮兄弟」みたいな夫婦が、ほらここにいるよって、
私は嬉しかったのだ。

「間宮兄弟」 江國香織
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2006.07.17
気味の悪い本だった。
初めて読んだ恩田陸作品が「チョコレートコスモス」だったので油断してしまったが、そいうやこの人はミステリー作家なのだから、「Q&A」で人がたくさん死んだり、恐怖におびえたり、喪失感でいっぱいになったりしても、看板にいつわりなし、文句をいえた義理は無い。
本当に気味が悪くて、圧迫感があり、読んだあと吐き気がした。
(スプラッタなシーンはなかったにもかかわらず)
その日、たくさんの人が死んだ。
”事件”を調査すべく、当事者たちに質問をする人。
答える人。
小説はすべて、「Q&A」の形で進行していく。
質問、そして答え。
そしてすこしづつ明らかになる”事件”。
同時に読み手には新たな疑問が生じてくる。
恩田陸はそれを見越したように、答えを少しだけ見せてくれる。
作家と読者のQ&A。
質疑応答のあと、私に残ったものは、
後味の悪さと救われない不安。
胸苦しさと嘔吐感。
真夏はホラー小説を読んで、ヒヤリとしたいなら、おすすめする。

恩田 陸 「Q&A」
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2006.06.08
昔読んだものを改めて読んでみるとまったく違う印象になっていて驚いてしまうことがある。
最近のそれは、「スイミー」の絵本。
「スイミー」
弱くて小さな赤い魚たち。
そこに1匹だけ黒い魚スイミーが現れる。
スイミーが目の役割を果たし、みんなで大きな魚のフリをすることで、天敵の大きな魚に食べられてしまうことなく、大きな海を自由に泳ぐ・・・・というお話。
20年以上昔、「スイミー」を読んだときの感想はどうであったか。
ひとりひとりは小さくて弱くても、知恵があれば、そして皆でまとまって行動すれば、勝利し自由を得られる・・・というものだった。
自分の感想というよりも、そのように学校で教わったという気もする。
学校からすれば、賢いことの素晴らしさと、団体行動の素晴らしさを教えるうってつけの教材だったのかも。
ところが今。
子供にせがまれて改めて読んでみた「スイミー」。
まったく違う感想を抱いてしまったね、ワタシは。
「人間なるならスイミーになんなきゃ楽しくない」
小さな赤い魚たちよ、団体行動で大きな魚のフリをして海を泳ぐことが本当に自由な素晴らしいことなんか?
大きな魚に襲われない分、確かに安全かもしれないけど、それでいいんか?
社会人10年やって、酸いも甘いも味わったつもりの私には、
大きな魚のフリをすることが、会社に入ることに思えてしまった。
会社に入って確かに生活は保障されるんだけど、生活はがんじがらめ・・・。
泳ぎ疲れたから休みたいと思っても、違う方向に泳いで行ってみたいと思っても、団体行動を強いられる赤い魚たち。
それは会社の歯車となってしまったサラリーマン。
わたしよーーー!
比べて、ただ1匹黒いスイミーは、リーダーの隠喩。
岩陰に隠れているよりも、海の中を縦横無尽に泳ぎまわるほうが素晴らしいよ、という価値観の植え付けに成功し、小さくて弱い魚たちの組織化に成功。
ただ泳ぐのではなく、まとまって泳ぐことで、おたかも大きな魚にみせるという付加価値の創造。
そして大きな魚であるというスケールメリットを利用して天敵の魚を追い出す、戦略。
スイミー、あんたはすごいよ、
真に自由なのはアンタだけだ。
スイミーだけが色が違ったというのも、比喩にしか思えない。
人間、人の上に立とうと思ったら、みんなと同じじゃだめなのよ。
絵本を読み終わって、
すごーく自然に、「スイミーのようにならなくちゃね。」と子供に言っちゃったんだけど、
母としてそれでよかったのか、ちょっと今不安。
スイミーについては清太郎さんが相変わらず妄想いっぱいの面白すぎるコラムを書いています。
こちらは身も心もまっくろけっけなスイミー。
暴君スイミー、独裁者スイミー。
歴史小説としての「スイミー」???
クライム・ノベルとしての「スイミー」???
うひゃー怖い!
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2006.05.29
こんな読後感のミステリーもあるんだなぁと思った。
こんなってどんなよ?
そうねぇ・・。
2年前と現在が交互に描かれる小説は
明らかに不穏で嫌な気配が漂っている。
暴力の陰、死の気配。
とてつもなく悪いことがおきそうな予感。
実際に悪いことは起きた。
でも、どこかさっぱりと、
晴れやかな読後感。
ブータンも河崎も、あたしは大好きだ。
追記:
北村薫の「リセット」
をあわせて読むと、より前向きな気持ちになれるかも。

「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎
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2006.05.24
本読み日記。
北村薫の小説は、いつもあまり「極悪人」は出てこない。
類型的な犯罪者が出てこないというべきか。
時々登場するのが、暗黒で、邪悪な心をもった人。
または刑法では裁けない、だけど、よくない人。
今回私はハッとさせられた。
「覆面作家」シリーズは、謎解きであり、同時にラブコメでもある、楽しいシリーズなんだけれど・・・。
この本に納められたある短編にドキリとした。
謎解きを楽しみにしている未読の方のために人の名前を伏せて引用する。
覆面作家こと千秋さんが言う。
「Aさんが、Bさんの立場になれる人だったら、こんな事件は起きてなかったろうな。」
「Cさんも、Bさんも、両方とも無事だったろう。でも、Aさんはそんなこと、一瞬も考えないだろうな。ただ驚き、怒鳴るだけだ。自分の人生を、Bさんが目茶目茶にしたと思うだろうな。」
Aさんは刑法ではまったく裁かれない。
Aさんは、ただ正論でものをいい、ばっさりと割り切って生きる人で、人の心に寄り添わない。切って捨ててしまう。
話は簡単、たいしたことではない、と言い捨ててしまう。
・・・・・・私もAさんタイプじゃなかろうか。
そんなことでクヨクヨしてどうするの?
あなたが悩むべきことじゃないわ。
あなたが悪いわけじゃないでしょう。
もっと割り切って生きていかないと。
さあこの話はこれでおしまい、
次、いってみよー!
ってな具合。
言ってそうだよなー私。
でも、人間の心はそんなにデジタルに切り替われない。
割り切れず、背負ってしまう人のほうが多い。
背負い疲れてつぶれてしまう人も多い。
私は本当は、その心の荷物をいっしょに背負ってあげるような接し方をすべきなんだろう。
相手の気持ちをよく理解して、心に寄り添ってあげるべきなんだろう。
世の中にはたくさんの犯罪があって、手を下した者だけが犯罪者として裁かれるけれども、その人たちの心に寄り添ってあげられる人がいれば、彼らも犯罪を起こさなくて済んだのかもしれない。
世の中には自殺してしまう人もいるけれど、もし心寄り添うように接してくれる人がいれば、彼らは自殺しなくて済んだかもしれない。
北村薫は、人の心に寄り添わず他人を追い詰めてしまう、罪には問われぬが情の無い人を、この本のなかで注意深く責めていると思った。
私は責められていると感じた。

「覆面作家の夢の家」北村薫
***追記***
リョースケと千秋さんの関係についても見事に「オチ」がついてます。
お楽しみに!
********
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2006.05.13
面白すぎて一気読み。
演劇鑑賞大好き♪な私ですが、子供が産まれてからはなかなか観にいけません・・・。
でもこの本「チョコレートコスモス」で久々に芝居を堪能しました!
この本、小説版「ガラスの仮面」なんです。
演劇界に突然あらわれた天性の女優、北島マヤ・・じゃなかった、佐々木飛鳥。
そして俳優一家に生まれ、新進女優にしてベテラン女優であり、演劇界の期待の星である、姫川亜弓・・・じゃなかった、東響子。多分、これ松たか子ですよ。
現実の演劇界でひっぱりだこの松たか子と、北島マヤの競演、
どう?観てみたくない??
物語はこの2人を軸に、演劇の担い手たち-脚本家・演出家・俳優-をからめて回り始めます。
この本のすごいところは、あたかも自分も演劇関係者になったような気持ちで、芝居を観ているような錯覚に陥るところ。
この本1冊読了すると、
学生演劇サークルの旗揚げ公演を2回鑑賞し、
サキの「開いた窓」を4回鑑賞し、
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の列車」を4回鑑賞しとことになります。
しかも「開いた窓」「欲望という名の列車」は、
森光子バージョン、
山口紗弥香バージョン(かな~~?)
寺島しのぶバージョン、
北島マヤ(飛鳥)バージョンと、
4パターンを鑑賞できるのです。
そして最後、松たか子と北島マヤの競演は本当に息が詰まる。
演劇ってこんなにもスリリングだったのね!!
月影先生!!
他にもどう考えても野田秀樹と思われる人物との絡みも面白く、芝居をつくっていく過程まで楽しめます。
ガラスの仮面ファンにはたまらないようなシーンも満載。
「今すぐ、風になってみろ!」なんつー部分もヨダレものです。
それにちゃんと“仮面”も出てきますよ。
「ガラスの仮面」ファン、
演劇ファン、
演劇に興味のある人、
演劇観てみたいけどなかなかいけない人、
松たか子好きな人、
絶対読んで欲しい。
読むというより、「観た」気がしてしまう舞台感覚を体感してほしい。
舞台がいかにスリリングな場所であるか味わってほしい。
今夜は眠れないよ。

「チョコレートコスモス」恩田陸
「ガラスの仮面」
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2006.04.23
久しぶりの本読み日記です。
本は読んでいるんだけど、書くのは久しぶりですね。
久々に古典を読んでみました。
きっかけは野田秀樹の芝居「贋作・罪と罰」がとてもよかったからです。
それに本作「罪と罰」を清太郎さんが絶賛していたしね。
野田版は「贋作」ですし、何しろ野田版ですから「罪と罰」の舞台も幕末の日本だったり、主人公は女性剣士だったりして、テイストがまったく違うのですが、台詞のところどころ、岩波の江川卓訳の「罪と罰」を正確に引用していて、「本作・罪と罰」を読むのも面白かったです。
んでもって、ドストエフスキーの本作「罪と罰」。
暗くて窮屈でトゲトゲして偏屈で狭くて発狂して乾燥したお話です。
うん、乾燥してる。可愛そうな話もいっぱい出てくるのに、涙はでない。じめじめしてない。
ドストエフスキーの性格なのかな。
ソフィアやその義母カチェリーナとその子供たちの狂気じみた不幸さや、
ペテルブルグにあふれる貧しく救われない人々の話の部分は、本当に哀れで、この瞬間、「ほっとけない世界の貧しさ」なんて言われたら、ホワイトバンドを何本でも買ってしまう。
主人公ラスコーリニコフは別の意味で哀れな男。
偏屈で狭くて暗くて、心がちっぽけだ。
かわりにプライドだけが肥大している。
頭でっかちで、ハートが小さいんだ。
時折見せる慈悲深い行為も、ハートからではなく、正義感という頭の部分から生じる行動なんだ。
この小説では2人の罪人がでてくる。
ラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ。
ラスコーリニコフは「正義」と「権利」のもとに罪を犯し、自分を正当化しているのに、罪の意識から逃れられない。
スヴィドリガイロフは自分の本能から、モラルを踏み越えて淫蕩におぼれる、そこに罪の意識は薄い。
ラスコーリニコフは望みもしないのに愛される
スヴィドリガイロフは欲したのに愛されない
そんな2人のラストは?
ラストは妙に楽観的なラスコーリニコフとソフィアで終わる。
反面、書き手のドストエフスキーは冷め切っている。
かなり面白い小説だ。
思い切って読んでみてほしい。
実は私は中学生のころ図書室で「罪と罰」を読んだ。
読んだはずだった。
今回、まるで初めて読んだ小説のようだったので、自分は本当に読んだのかどうか訝った。
でも遠い記憶は、毎日のように図書室に通ったことを覚えている。
「罪と罰」のラスト。
突然、雷鳴のように愛に打たれるラスコーリニコフとソフィア。
小説に突然、光が射してくる。
思い出した!
私は確かにこの小説を読んだ。この光りにたじろいだ。
そしてもうひとつ思い出したこと。
「いつもここにいるね。何を読んでいるの?」
色が白くて、瞳の中に星が瞬くような、少年が聞いた。
「罪と罰。」
「難しそうな本だね。」
少年は微笑んだ。ものすごい美少年。
思い出した、「罪と罰」は読書の対象ではなく、図書室にいるための”道具”だったっけ。
内容なんか覚えていないはずだ。
ちなみに「罪と罰」のあと、中学生の私は「車輪の下」を読んだ。
でもやっぱり内容は覚えていない。
本読むフリして他に見るべきものがあったからね!
「罪と罰」上・中・下 岩波文庫 江川卓訳
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2005.10.13
フランスっつーのは、もう、まったくもう、やれやれですねぇ・・・。
お互いを傷つけあいながら、肉体と魂で結びつこうとする男と女。
二人の関係には、思いやりとか、相手への優しげないたわりや、それに応える心とか、礼節、さらには常識的ふるまいみたいなのが大分欠けている。
刃物と刃物が抱き合ったら、お互い血まみれになる。
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」とか、「ポン・ヌフの恋人」なんかも痛々しい男女の愛だった。
フランスの男と女っつーのは、こんな結びつきが普通なのかね?
そんなに本能で生きててどうすんのさ。
実際のフランス人男女がどうかはわからないけど、この手の小説や映画が流行る土壌のある国ではあるんだろうな。
「愛しあう」の舞台は、日本の東京そして京都。
案外、日本人読者を狙って書かれたものかもしれないけど。
ちなみに原題は「Faire L'amour」
そのまま英単語に置き換えると、Do Love になるんだと思う。
Faire L'amore が、セックスするという意味で使われることを考えると Make Love です。
フランスでは Doで、アメリカでは Makeという動詞になることからも、
愛の形が違うというものです。
「愛しあう」の作中でも、彼らはどしゃぶりの新宿の歩道橋の上で、Do してしまう。
きっとアメリカ人男女だと、ちゃんとホテルに戻って、しかもホテルの部屋には薔薇が敷き詰められ、よく冷えたシャンパンなんかもあって、サプライズのあとに Make するのだろう。・・・リチャード・ギアかなんかが。
邦題の「愛しあう」は、どうなんでしょうね。
ちょっとロマンチックなイメージを喚起させすぎてよくない気がするけど。
「交わる」ぐらいが、本能的で性的な意味がよく伝わるのではなかろうか。
:::::::::
9月の普通じゃない忙しさの中で読んだ数少ない本でした。
落ち着きを取り戻した今、猛烈に読書がしたいです。
:::::::::
「愛しあう」ジャン=フィリップ・トゥーサン
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2005.09.14
地図帳を広げながら読んでいた、昭和44年のロシア旅行記、というのはこの本。
「犬が星見た」武田百合子著。
この武田百合子という女性がね、なんだか面白い。単純なほど素直で、淡々としているようで繊細で、ときに意外な大胆さで、気取ることもなければ、飾ることもなく、いい人のようでいて時に意地悪い。飄々としている。
こんな女性の旅の記録は、大仰に旅のアクシデントやハプニングを書いたりもしていないし、旅先の発見や出会いを感動的に書き綴るわけでもない。
何を食べ、何を飲み、お土産に買った絵葉書がいくらで、同行の友が何をいい、皆が何を笑い、誰かが具合を悪くし、どこかへ行って、なんかを見ました~~~~。ということの連続。
「おもしろいか?」と夫に訊かれて、
「普通だよ」と普通に答える武田百合子。
ロシアのトイレのドアが開かなくて、困っている銭高老人のために、男性用トイレのドアに体当たりをして開けてあげる武田百合子。(とても普通に書かれている。)
態度の悪いロシア人女性ガイド見習いに、「スパシーバ。(ありがとう。)」と言った後、「あんたは真からブスね。」と日本語で言い添えて、イヒヒ。と笑う武田百合子。
旅行記が面白いというより、武田百合子が面白いんだなあ。この人の日常感覚が。
ところで、こんな女性を私はもう一人知っている・・・。
すぐにひらめいた。
高野文子の漫画「るきさん」だ。主人公のるきさんだ。
そう思いついてからは、るきさんが結婚して、ロシア旅行に行ったらきっとこうだったのだと思いながら、ニヤニヤしながら本を読んだ。
「るきさん」が大好きな人は是非読んでみてください。
「犬が星見た」武田百合子
「るきさん」高野文子
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2005.09.13
最近、週末の朝はダッグウッドサンドウィッチで迎えることにしている。
夫が急に提案したのだ。
ははあーん。さては私の本、「女たちよ!」(伊丹十三著)をこっそり読んでいるに違いない。
ダッグウッドサンドウィッチというのは、アメリカの漫画の主人公、Mr.ダッグウッドが大好きなサンドウィッチ。何でもかんでもはさんでしまう大きなサンドウィッチのこと。
知ってましたか?皆さん。
私は、伊丹十三のエッセイで初めて知った。クラブハウスサンドウィッチとは少し違う。パンはトーストしないでよい。
さて、朝起きてきましたら、テーブルに、サラダ菜・ロースハム・サラミやパストラミ・スライスしたトマト・小口切りしたきゅうり・小口切りしたピクルスなどを並べます。そして上質のバター。うちは発酵バターを使う。マヨネーズも少し。あと好みでお塩。天然塩に限る。忘れてはならないのがデンマーク・DOFO社のフルーツテイストのクリームチーズ。うちの近所で100円~140円。
すべて用意してから、スクランブル・エッグを作ってテーブルへ。
あとは各自食パンを手に取り、バターやチーズを塗って、好きなものをどんどんはさんで、もう一枚パンをのっけて、ガブリ、ムシャムシャと食べるわけです。
手巻き寿司パーティのような楽しさ。そして美味しい。
パンがなくなると、サラダ菜にくるんで食べてみたりする。これも美味しい。
伊丹十三氏は、パンにサラダ菜と苺ジャムという取り合わせが非常に美味だと書いている。まだ試したことはないけど、苺フレーバーのDOFOのクリームチーズとサラダ菜はあう。
子供も楽しく食べている。
いつも急いで食べがちの朝食を、ゆっくり楽しく食べるのは週末ならでは。
最近のお気に入りです。
「女たちよ!」伊丹十三
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2005.09.04
金曜日の夜。子供を寝かしつけた後で読書に耽る。
旅行記を読んでいる。昭和44年にロシアを旅した日記だ。
旅行記を読むときは、特に移動を重ねる旅行記ならば、地図帳で確認しながら読むと面白い。なんでだか面白い。
今読んでいるのは昭和44年の話なので、ロシア旅行といってもソビエト連邦だ。
普通の地図帳よりも、世界史地図帳(各年代ごとの世界史地図の本)の近現代のページの方がいいかしらと思って、世界史地図帳をめくってみる。ついでに世界史年表も見て、当時の米ソ関係や、日ソ関係なども想像してみる。
でもやっぱり地名検索には、地理の教材用の世界地図帳のほうが調べやすくて、そっちに落ち着く。
よく考えたら、高校時代の地図帳だから、まだソビエト連邦の地図だった。
世界地図帳も、世界史地図帳・世界史年表も、高校の時のものだ。
日本史地図帳・日本史年表も持っている。
これらは全部、ずっと実家にとっておいて、結婚するときにきちんと持ってきた代物だ。
教科書は捨ててしまったけれど、これらは大切にとっておいた。
おかげで旅行記を読んだり、歴史物語を読むときに、ちょっと楽しさが増したりしている。
先に寝ようとしていた夫が起きてきて、世界史地図帳と年表、それから日本史地図帳と年表を珍しげに眺めだした。なにやら、しきりに感心したり、驚いたりしている。新しい発見をしたようだ。
私は気分がよくなって、缶ビールなんぞをプシューっと開けながらまたページをめくる。
横には世界地図帳を置いて。
大人は楽しい。
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2005.08.30
伊丹十三のエッセイ「女たちよ!」を読んでいる。
昭和43年に発行されたエッセイ集である。43年ですよ。私が生まれる前ですよ。
まず冒頭のエッセイが、パスタについて。
当時の日本では、スパゲッティを柔らかく茹でて、さらにフライパンに移して、ケチャップとハムやピーマンで炒めてしまってから食していた。
それを伊丹氏が嘆く。
「いいですか、パスタというのは、うどんではないのですよ!」と。
そして、”アルデンテ”の概念を紹介し、本当のイタリア式パスタの茹で方、パスタソースの作り方を紹介している。
ここを読むと、ははーん、ぐらいにしか思わない。
今ではすでにアルデンテという言葉は、うちの親だって知っているぐらい、知識としてはもう既知のものだから。
さりとて、アルデンテが広く世の中に浸透したのは、日本がバブルに浮かれ始めた80年代後半ぐらいからではないかというのが私の実感だし、うちの親にまで認知されるようになったのは、21世紀に入ってからではないかしら?と思うので、正しきイタリア式パスタの基礎、アルデンテを昭和43年に紹介したエッセイは画期的だったのだろうと思う。
そういう具合に、私はついうっかりこのエッセイを、過去の偉業・はたまたエッセイの古典とか、そんなつもりで読みすすめようとしたんですが・・・。
その気持ちはすぐに撃沈されてしまいました。
イタリア料理の前菜として、生ハムメロンが紹介されていたのです。
メロンが食後のデザートではなく、前菜として振舞われることの紹介と、生ハムとの絶妙な相性についての文章が続きます。
そして、衝撃的な文章に出くわしたわけです。
生ハムとあわせるメロンは、赤肉のメロンでなくてはならぬ。日本なら名前は忘れたが千葉県のほうでとれる、肉がオレンジ色の小さなメロンでなくてはならないのだそうだ。マスクメロンでは甘すぎて、生ハムとは合わないのだそうだ!
膝を打ったよ。
私は今まで、生ハムメロンを???と思いながら味わったことが何度もあるのです。
絶妙なハーモニーと食通は言うけれど、そんなに合うかしらん?私の舌がおかしいのか?と。
友人宅のちょっとこじゃれたホームパーティーで出てきた生ハムメロンは、メロンが青肉だった。
雰囲気の良いバーで、出てきた生ハムメロンも、メロンが青かった。
そこそこのイタリアンレストランでも、青肉メロンの生ハムメロンを食べた覚えがある・・・。
一方で、これは美味しい!と感じた生ハムメロン体験もあった。あの時はメロンが赤肉だったのかも・・。そうだ、そうに違いない!!!
さっそく近所にメロンを買いに走るも、大き目の青肉メロンしか店頭に並んでいなかったので、まだ実証はできないけど、頭の中でモヤモヤとしていたものが晴れた気がしましたよ。(ちょっと大げさかもしれないけど、ホントに。)
昭和43年のエッセイに教えられるとはね・・。
私だけ無知だったのか、日本がまだまだ無知なのか。
(千葉県産の赤肉メロンをネットで調べていたら、メロンのネット販売サイトにいろいろたどり着きましたが、青肉メロンと生ハムのギフトセットもあるようなので、やっぱり日本が37年前の伊丹十三氏にまだ追いついていないのかも・・・)
こんな調子で、まだ全然色あせていない、粋と知識の詰まったエッセイ集でした。
このエッセイをネタに、いくつブログが更新できるだろう・・・って思うぐらい。
そのうちまた更新。
「女たちよ!」伊丹十三
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2006年6月・追記
「実践・生ハムには赤肉メロン」を更新。
実際に、赤肉メロンでためしてみた感想です。
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2005.08.24
まだ読みかけなんですが、皇太子様も読んでいると言う話題の育児書「子供が育つ魔法の言葉」を読んでいる。
子供に対して感情的になったりせず、愛情に満ちた態度で、子供を励まし、のびやかに育つようにリードしていくことの大切さを説いている本、というのが今のところの印象。
この本を読みながら、自分の育児について考えていて・・・と言いたいところだが、実は違う。
私の両親のことを考えてしまっている。
何しろ、ドロシー・ローノルドが、「~~~こんなふうに言ってはなりません。子供は深く傷つき、×××な子になってしまいます。」と、ダメ出しをするのだけど、まさに「言ってはならない」言葉をさんざん言われて私は育ったんだもの。
そーか、だからか。
私がワガママでいい加減で、感情的で、ふてぶてしくて、短気で怒りっぽくて、まあ詰まるところどうしようもない奴に育ってしまったのは、うちの両親が子育てに失敗したからだったのね~。
言ってはならない言葉ばかり言われてたもんねー!!
と、自分の幼少期・少女時代を回想しながら読んでいるのだ。
でもですよ。
今のところ私は、
①刑法に触れるようなことはしていなく、
②職を得て、経済的に自立しており、
③友人もそこそこいて
④好きになった男性とめでたく結婚し、
⑤夫婦で望んだ結果として子供2人に恵まれ、
⑥実家の親と孫を囲んで誕生日パーティーを開くような、
人間になったとも言えるのです。
世間の皆さんや、うちの親が、どれだけのことを私に望み、託していたのか知りませんが、そんなに悪くもないんじゃないの?私。
ワガママでいい加減で、感情的でふてぶてしく、短気で怒りっぽく、そうそう飽きっぽくて面倒くさがりの、ダメな奴だとしてもですよ。
(こういう考え方がふてぶてしい。)
つまり、「言ってはいけない」言葉ばかりシャワーのように毎日浴びて育てられた子供も、平均点は取れるんだよなぁ。
別にドロシー・ローノルドさんに反論したいわけではない。やっぱり彼女の言うように、暖かい目で子供を見つめ、子供の人格を肯定的に捉えながらの会話は、非常にいいことなのだと思う。
でも、私の親にしろ、私自身にしろ、世の中の親のすべてが人格者ではないのだから、ときには、
「アンタって子はどうしてそう×××なの!」
と、怒鳴ってしまったり、
理由も聞かずに、「ワガママ言うんじゃありません!」とねじ伏せちゃうこともあるのだ。
だけど、そんな自分を母親失格と思わずに、あんまり思い詰めずに、「あちゃちゃ~、また言っちゃったよ」ぐらいでやり過ごしてもいいのかも・・・と思う。
「言ってはいけない」ネガティブワードで育てられた私が、そこそこ幸せに毎日を過ごしている限り・・。
気楽に気楽に。
聖人君子でない自分と向き合いながら、子供に接してみようと思う。
今夜は本の続きを読んでから寝ます。
「子供が育つ魔法の言葉」
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2005.07.31
変わった人だった・・・。
同じく変わり者であるに違いない作家、ニコルソン・ベイカーの本の翻訳者として知られる著者のエッセイ集。ニコルソン・ベイカー「中二階」と同じく、夫の薦めで読む。
何しろ、変わっている。
たとえば、「枕の中の行軍」とうエッセイの冒頭はこうである。
「祖母の家に”お泊り”するのは楽しかったが、枕の中に日本兵がいるのが少し嫌だった。」
なのである。
ハァ?
日本兵?
もしくは「オオカミなんかこわくない」というエッセイでは、オオカミは怖くないけどゴキブリは怖いと綴っている。
そこまではいい。しかし、
「黒光りするボディがこわい。長い触角がこわい。(中略)わしづかみにして手の中にゆるく握ったときの、じたばたと手のひらを蹴る感触がこわい。噛むと口いっぱいに広がる、ちょっと苦い味もいやだ。」
となると、どうなんだ。こわいのはアンタだ。
全てが万事この調子なのだ。
「なーんちゃって。」とは書いてないのだ。どこにも。
今までも、つい勢いでペン先が暴走しちゃいました~的な、エッセイは数多く読んだけれど、岸本佐和子のそれは、非常に落ち着いた文章で、紛れもない事実として淡々と書かれているところが、とても気持ち悪い。異様なのだ。
ホラーではないけど、熱帯夜に読みたい怖いエッセイ。
そして妙に可愛い装丁が、とっても気になる本。↓
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2005.07.19
先日、めちゃくちゃ久しぶりに飲み会に行ってきました。
んでもって、皆でバカ話に興じていました。途中、話はついつい「愛の流刑地」こと「アイルケ」に。
「流刑っていうんだから、2人してどっか行っちゃうんだろうねぇ」
「やっぱり富山で風の盆だろ」
「いや、箱根アゲインだ」
「いやいや出会いの京都に戻るかも」
「ところで流刑ってことは罪を犯すんでしょ?」
「・・・やっぱ、不倫が罪ってこと?」
「子供3人っていうのが『失楽園』と違うよなぁ」
「案外、ものすごい刑事事件に展開とか・・」
こんな感じでとりとめもなく、でも大盛り上がりで話していました。
しかーし、ここはひとつ、こんなオチはいかがでしょうか?
2人はどんな罪だか知りませんし、どこへ行くのか知りませんが、流刑されます。失踪かもしれません。心中かもしれません。勝手にやってくれ。
大切なのは、菊治が書き上げた作中小説「虚無と実像」です。
菊治は流刑される前に、この原稿を友人の編集者(名前忘れました)に渡すのです。
そして・・・・
編集者の友人の尽力で、なんと、日経新聞の朝の連載小説として発表されることが決定。
というオチです。
さらに、「愛の流刑地」連載終了直後に、渡辺淳一も失踪します。
どうでしょう。日本文学史上に残るスキャンダルとして語り継がれる作品になること間違いなしです。
渡辺淳一先生には是非、このまま失踪してほしい。
ラストが楽しみですね!
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2005.06.01
昨日に続き、トリアングル。
「歌物語」という試みそのものにも書いておく。
作中に突然、短歌があらわれても、私はそんなに違和感はない。劇中で、突然役者が歌ったり、踊ったりするミュージカルみたいなもんだと思う。
しかし、だ。
短歌を味わう楽しみは、思い切りそがれてしまった。
短歌や俳句、詩のよさは、書き手(詠み手)の意思を飛び越えて、読み手の感受性がくすぐられて、いろいろ想像する喜びにあると思う。
しかし「トリアングル」の中では、短歌が詠まれた背景がきっちり小説として書かれている。状況が説明されている。解説付というわけだ。
そんな短歌はつまらないなぁと思う。
たとえば、
明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる
という短歌。
この歌は短歌集「チョコレート革命」にも出てきたし、「トリアングル」の作中歌としても出てくる。
短歌として鑑賞するならば、
二人というのは恋人だろうか、苺ジャムが一瓶終わったあとに、二人の関係も終わったのだろうか?それとも新しい一瓶を買いに行くのだろうか?そもそも苺ジャムが一瓶終わるにはどれぐらいの月日がたったのだろうか?苺ジャムというと、朝かブランチのトーストだよな・・。つまり、何回も一緒に朝を迎えたということだよな・・・。苺ジャムが二人で食べる朝食の隠喩だから作者にとっては特別な感慨があるのだろう・・などと思いめぐらす。
しかし、「トリアングル」にて、苺ジャム(銘柄はボンヌママンだそうです)はその後何回も買い足され、8年も買い続けていることが明らかにされちゃうし、週に2~3回は一緒に朝ごはんを食べていることも明らかにされる。
ああ、そうですか。はっきりされちゃうと、どうもつまらない。
飛行機の窓から見下ろす東京の夜は全部がディズニーランド
これも歌だけならば、東京に着陸する飛行機なのか、離陸したばかりの飛行機なのかわからない。ディズニーランドというのは、ワクワク・ドキドキ、楽しいことの代名詞として使われたのか、詠み手の淋しい心情との対比なのか判然としない。だからこそ、受け取り手によって解釈が違って面白い。
しかし「トリアングル」に、東京に着陸する飛行機で、主人公は淋しい気持ちでいっぱいなのだと書いてある。ご親切に、どうもありがとう。
(私も相当嫌味な人間だ)
もちろん、視点が斬新で、思わず感嘆してしまう歌もありました。
芽キャベツのような夢だね未完熟の言葉に宿る芯のまぶしさ
これはとても好き。小説の中にあっても、輝いている歌だと思ったよ。
歌物語という試みに、ちょっと意地の悪い批評をしてしまったけど、新しい試み(この場合、古くて新しいというべきか)は良いことだと思う。結局、次回作も待つ。
「トリアングル」俵万智
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2005.05.31
俵万智による初の小説として紹介されることも多いんだけど、正確にいうと、歌物語ということらしい。
「伊勢物語」とか「土佐日記」とか、古典の授業で少しだけならった、アレです。
土佐日記は、紀貫之が女性になりすまして書いたもので、一応創作の日記。そのときの心情を託した和歌がところどころに記されているものだそうです。
「トリアングル」も、小説の中に、突然主人公の想いや状況をかさねた短歌が出てくる。
そして、一応、物語は創作である、らしい。
主人公は女性フリーライター。
釧路湿原を取材したことがある。そのときに出会ったMとの恋は、パリで成就する。しかしMには妻子がいる。子供は当時10歳。
途中、年下の青年と恋に落ちたりしつつも、Mとの関係は続き、8年が過ぎていく。主人公は、不倫は不倫のままでいいから、せめてMの子供を産みたいと思って小説は終わる。
1997年、「トリアングル」より7年前に出された俵万智の歌集「チョコレート革命」を思い出す。
彼女は、その歌集に「湿原の時間」という項目で、釧路湿原についての短歌を発表している。また、彼女が晴れ女であることも書いている。不倫の恋をしていることも匂わせている。どうやら相手には10歳の子供がいることも短歌に現れている。
そして2004年。俵万智は、結婚しないまま、父親の名前を明かさないまま、子供を産んだ。
「トリアングル」はほんのちょっと設定をかえただけで、創作というよりも俵万智自身の物語だ、私小説だ、と断言することはできない。私は俵万智さんを知らない。
けれども、実際の彼女とかぶせて読まずにはいられないし、そう仕向けられている。
スキャンダラスな本だと思うし、そう思って読むからこそ面白い部分も多い。
明日は、「トリアングル」の歌物語という試みについて書きたいと思う。
「トリアングル」俵万智
「チョコレート革命」俵万智
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2005.05.16
世界的に売れているだけあって面白い本だった。
殺人事件の黒幕は誰か?というミステリーと、
暗号を解いたり、隠されたメッセージを読み取ったりする謎解きの面白さと、
追われる身となった主人公たちのスリリングな状況と、
宗教・歴史・絵画などに対する知識を吹き込まれる面白さで
この「ダ・ヴィンチ・コード」はまさに“多義的に”面白い。
次から次へといろいろなことが明らかになり、同時に新しい謎が提供される。
そこに読み進めていく愉しみがあるので、もうこれ以上あらすじには触れない。
宗教、とくにキリスト教について私なりに思うこともあったが、
もともとキリスト教に詳しくもなく、他の宗教に深く帰依しているわけでもないので、
その想いは自分の胸の中にしまっておくことにする。
ここには書かない。
では何を書こうか。
私は中学生の頃、「My Birthday」という雑誌を読んでいた。
占いやおまじないを扱った雑誌で、メインコンテンツは、片思いの恋をかなえる!という少女らしいものだったと思う。一方わたしは、西洋占星術のベースとなる考えや、タロットカードの意味、世界の神話、古代文字といった神秘的な世界について書かれた記事に夢中になっていた。
「ダ・ヴィンチ・コード」の中でも、象徴学者のラングドンが、現代に残る記号のもともとの意味などを説明している箇所が多数あるが、私が案外知っていたのは、なんということか「My Birthday」という少女向け雑誌の購読に由来する。あの雑誌が、20年以上へた現在の私に、意外な読書の愉しみをもたらすとは、人生わからないものである。
さて、「ダ・ヴィンチ・コード」の中で、(詳しい時期は諸説あって特定できないが)新しい千年紀の前後あたりで、占星術で言う2千年に及ぶ魚座の時代が幕を閉じ、水瓶座の時代に入ったと書かれている。
以下、引用。
「いまわれわれは大いなる変化の時代にいる。千年紀が少し前に終末を迎え、それとともに、占星術で言う二千年に及ぶ魚座の時代が幕を閉じた。魚はイエスの記号でもある。占星術にくわしい象徴学者ならだれでも知っているが、魚座の理念では、人間は自分で物を考えることができず、より高次の存在から行動の指針を“教わる”必要があるとされている。だからこそ、この期間は熱心な宗教の時代だった。ところが、いまやわれわれは水瓶座の時代に踏み込んだのであり、その理念は、人は真理を学び、おのれの力で考えることができるというものだ。いわばイデオロギー上の重大な変革で、いままさにそれが起こっている。」
この記述は、宗教の世界だけでなく昨今の日本にもしっかりとあてはまる。
西暦2000年のあたりから前後して、日本は価値観が大きく変わってきている。
良い大学にいって、大企業に就職し、真面目に言われたとおりやっていれば、生活が保障された、いわば導かれた時代から、自らが考え、行動する時代に変わった。起業が奨励される。大きな事業を始める者もいれば、趣味を仕事にしたプチ・オーナーも目立つ。
大企業同士の株式持合いから、個人株主の時代に移行した。
水瓶座というのは、知性、ひらめき、個性、独立、情報、伝達、などを象徴していたはずだ。
インターネットの時代に呼応する。
タテ社会ではなく、独立した個によるヨコ社会の形成。
「ダ・ヴィンチ・コード」のテーマからはやや外れているけれど、私はそんなことを考えた。
「ダ・ヴィンチ・コード」
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2005.05.11
シリーズ2作目。
第1話「覆面作家のお茶の会」で、名編集者の左近先輩がニューヨークへ転勤という形で、物語の主要登場人物から外れる。
覆面作家こと新妻千秋お嬢様は、
「本を手にしたら、いつだってあの人に会える。
本を作る仕事って、そういうものなんだね。」とつぶやく。
私は左近先輩の転勤がどんな含みのある伏線なのかあまりわからずに、「お茶の会」の話を読んだ。
左近先輩が去ってからは、リョースケの同業他社の静さんという編集者が物語にかかわってくるようになったから、主要登場人物のリストラかしらねぇ~ぐらいに思っていたのだ。
しかし、答えはなんと「あとがき」にあった。
「本を手にしたら、いつだってあの人に会える」
胸を打たれる。
「覆面作家の愛の歌」
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2005.05.10
北村薫の小説は、悪意に満ちた人間が出てこないのがいい。
時々悪意のある人間が出てくるが、主要な登場人物たちの悪を憎む心、恐れる心が作品に一貫しているから、読んでいて安心できる。
「赤毛のアン」シリーズといい、私って性善説に基づく世界が好きなのね。
北村薫ミステリーの愉しみは、名探偵コンビのやりとりでもある。
「空飛ぶ馬」に始まる“円紫さんと私”シリーズは、静謐な優しさにあふれたコンビで大好きだ。
そして、「覆面作家」シリーズ。
こちらの名探偵は、深窓の令嬢にして新進ミステリー作家、容姿端麗の19歳、新妻千秋さんである。
この千秋さんが2重人格。可憐きわまりない乙女と、ケンカ上等・べらんめえ口調の江戸っ子として大活躍してしまうのだ。
振り回されながらも、うれしくてたまらない担当編集者のリョースケも、温厚な好青年。
いやはや漫画みたいな設定ですが、これはこれで面白い。
円紫さんシリーズとは違う軽妙なテンポで、気分よく読める。
短編集だしね。
ちょっと元気がないときに読むといい。
私はちょっと元気になったから。
さて、明日はシリーズ2作目「覆面作家の愛の歌」について書く。
今日はそのための布石です。
「覆面作家は2人いる」
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2005.04.09
「7つの習慣」という、とてもためになる本がある。人生で成功するために必要な人格形成の要素がつまっている本だ。
「『稼ぎ力』ルネッサンスプロジェクト」は、「7つの習慣」と同じく、視点や思考といった自分自身をかえることで成功できるということを教えてくれる本である。
さらに、
- 成功の舞台をビジネス(仕事)に絞って
- 女性に焦点をあて
- 夫婦の対話形式で書かれていて
- 翻訳モノではないから
「7つの習慣」よりずっと読みやすい。
「7つの習慣」がメインテキストなら、「『稼ぎ力』ルネッサンスプロジェクト」はより平易に書かれた副読本だと思う。
ま、経営者人材になるための4つの視点という部分は、本を読んでくださいと思う。
ここでは、私が目からウロコで、目の前が急に開けてきちゃって、ああこの本を読んでよかった!と思った箇所を書きたいと思う。
それは・・・・・・「女性は花なのだ」というところ。
花だから、咲きたい。咲き続けたい。女性にとっては綺麗に咲くことが成功なのだ。
自分という花を咲かせる。それは自己表現をするということ。
綺麗な花だといわれること。それは認められるということ。
自分の可能性を伸ばし、実現し、認められるということ。
本では、仕事をとおして自分を咲かせたい人に焦点をあてていましたが、世の中には妻や母という立場で咲く人もいるだろうし、趣味の世界で咲く人もいるのだと思う。
さあ私はどうやって咲く?どこで咲く?
今まで、肩書きとか、収入とかで成功してるかどうかを計ってしまうようなところが自分にはあったけど、そうじゃあないんだね。
既婚の子持ちは勝ち組だとか、年収がいくらなら勝ち組だとか、そんな世の中の価値観ぶっとばせ。
世の中的な“成功”のために自分を押し殺すより、もっと自分らしさを大切にしたほうが、ずっと綺麗に花として咲けるんだ。花の命も延びるんだ。
・・・・実はちょうど、転職しようか悩んでた。今の仕事のほうがお給料はいいに違いないんだけど、他所で咲きたい自分がいるってことを大切にしなくちゃね。
桜が咲いたよ。次は私だよ。
「7つの習慣」
「稼ぎ力」ルネッサンスプロジェクト
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2005.04.07
そろそろ会社に復帰する予定。
となると、新聞は通勤電車の中で読むことになる。
そうなると、大きな問題が生じることに気づいた。
「愛の流刑地」である。
知らない人のために書くと、これは日経新聞の朝刊に掲載中の連載小説。
作家は渡辺淳一。
もうこれで大体わかると思うけど、「失楽園」さながらの、官能的な不倫小説です。
男の人は、朝から大興奮!で読んでらっしゃるのかしらねぇ・・・。
55歳の売れなくなった小説家と、36歳子供3人の人妻の道ならぬ恋・・・。
この人妻・冬香さんが、男の妄想そのまんまっていう設定。
人妻って、この言葉も男の妄想を駆り立てる言葉だよね。既婚者じゃダメなのかね?
子供も3人いるんだから、36歳のベテランママじゃダメなのかね?
まあ、小説的に人妻というレトロな言葉はいいけどさ、その人妻が、子供が3人いるものの、実は夫のことは愛しておらず、性にも未開拓(!!!!)で、そのわりに会って2回目で男と不倫。性的にもいろいろ経験して満たされるって・・・・どうなのかしら。
男のロマンって、こういうのなのかなー。ぶはっ。
女の私からみると、現実感がまるでないんだけど。他の女性の皆さんはどうですか?
一途で貞淑でオクテな女というのはいっぱいいると思うよ。でもそういう人なら、たとえ憧れの作家でも、会って2回目でホテルについていくのか?その場合、作家は島田雅彦ぐらいのかっこよさが必要なんじゃないの?でも島田雅彦は、まだ40代だし、現役で売れてる小説家だぞー。ああでも、たとえ島田雅彦でも一途で貞淑でオクテな女は、部屋まで着いていったりしないぞー。
それとも36歳の3人の子持ちのママが、すっごいミーハーで、好きな作家のグルーピー状態で不倫に突入。はまってく、っていうならまだ現実感がある。でもその場合、女がすっごくオクテで、経験がほとんどない、っていうのは変じゃないか?
私はこんなふうに毎日つっこみ隊長になって読んでいる。
もしくは呆れてたりする。
男の妄想で成り立ってる小説そのものや、こんなのを朝刊にのせて話題を作ろうとする日経新聞に。
(ちなみに、この小説は高村薫の超・骨太な政治小説を無理やり降板させてスタートしたのだ!)
それでも毎日読んでんだから、同じ穴のムジナなんだけどねー!!
それでですよ。
問題なのは、この小説を電車の中で読む勇気がないってことなのだ。
今までは家で読んでいたから、ぶははって笑っても大丈夫だったけど、電車の中でニヤリとしながら読んでたら、すっごくやばくない?
電車の中で新聞読むときって、小さくたたんで読むから、どの記事を読んでるか、周りの人にはすぐわかる。挿絵も、官能小説です!って感じだし。
「お、この女、「愛の流刑地」読んでるゼ。いやらしいこと想像してんのかな。欲求不満の人妻だったりして」なーんて思われちゃったらどうしよう~と、心配になってしまう。
こっちは花も恥らう30代の2児の母なのにさー。もう。
かといって、会社についてから読むのも、からかわれそうでやだよな。
じゃあ家にもち返ってから読む?うわ、なんかそれってムッツリスケベって感じ。やばいよ。
というわけで、日経新聞及び「愛の流刑地」を読んでいる人、どこで読んでますか?
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2005.02.21
大好きな作家・服部真澄。その新作が2003年夏に出ていたとは知らなかった。何してたんだろ?私。
ミステリーであり、サスペンスの要素もあり、そして何より知的なエンターテイメントであるのが氏の作品群。
「龍の契り」では香港返還にからむ外交の闇、スパイの暗躍、ハリウッドの光と影を描き、
「鷲の驕り」では特許をめぐる壮絶なビジネス戦争を描き、
「ディールメーカー」ではM&Aや著作権を描いた。
そして常に根底に東西の価値の対立を捉えていた。
今のビジネス社会はおしなべて”西”のルールの上で競争をしている。
西のルールにのっとりつつ、西の陣営をはるかに凌ぐ力量と魅力を持つ東洋人が、服部真澄の小説ではいつもキーパーソンになっていた。そして彼(彼女)は問う。”西”のルールは完全か・・・・?と。
んでもって、今回は「GMO」遺伝子組み換え作物。
来たね。またしてもタイムリーな話題です。もうわくわくです。
ただし今回は、期待していた東西の対立は出てこなかったです。東西というよりも、人間が本能的に抱える野心に焦点が合わさっていたように思います。
これから読む人のためにこれ以上内容には触れまい。
でもよくわかったことがある。
遺伝子組み換えについては、食物の安定供給という大義と、食の安全に代表されるバイオセーフティが議論の中心になっているけれど、結局は、神のように「支配してみたい」という欲望が根本にあって離れないのだということだ。その「支配」が悪いことに使われれば、その技術の開発者はマッドサイエンティストであろうが、もし、良いとされることに使われるのならば・・・・・。
もっとも心に響いたのは、主人公の古くからの仲間の台詞。
シンバイオシス(共生)という概念を持ち出して。
「接近し、相関関係を持つ生きものは、対立しているように見えるものでも、補完しあってもいると思う。」
わたしはこの言葉が、もっとも重要なテーマだと思う。
:::::::::
人間関係でもそうだよね。苦手な人がいても、案外その人と自分は何かの補完関係にあるのかも。
「GMO(上)」
「GMO(下)」
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2005.01.15
わたしのことを決して愛さないような男を、どうしてこうも気になってしまうのだろう。
その男の名は沢崎という。
大晦日に発せられた銃声に始まる事件。わたしは元日から読み始めた。
もう一度私の前に現れるのをずっと待っていたのよ。
西新宿の例の事務所で、まだ細々と探偵稼業を続けているのかしらと思うこともあったし、すごくくだらない理由であっけなく死んじゃってたりするのかもって思ったりもしたわ。
私?結婚したの。子供も2人生まれたのよ。
だってあれから、そう「さらば長き眠り」から9年も経ったのよ。
あなたのほうは、あいかわらずのようね。
そう・・・錦織さんがパリへ、橋爪さんは大阪へ行ってしまったの。寂しい?なんて聞くのは馬鹿げてるかしら。
ああ、銃声が鳴ったんだったわね。あなたの見ている前で。新宿署の地下駐車場で。そこからいろんなことが重なって・・・・。
犯人は誰か、目的は何か、ですって?
そんなことに私は興味はないの。謎解きの面白さを楽しみたいなら、他にいくらでも本があるもの。
じゃあなぜ?それこそくだらない質問よ。
物事に対するあなたの判断基準、価値基準、対処の仕方、態度、姿勢、そんなものを見ていたいだけ。簡潔で、明瞭な、あなたの感情に流されない生き方を、見ていたいだけ。耳を傾けていたいだけ。
そういえば、タバコはまだ両切りのホープなのかしら。
わたしはまたあなたに会いたいと思ってる。
この本も、今までの本も、何度も読み直しながら待つから、また9年も姿を見せないなんてことはしないでね。
「愚か者死すべし」
「さらば長き眠り」
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2004.12.17
電車男萌え~、エルメスさん萌え~、って書けばいいのでしょうか、この気持ち?!
正直いって今まで2chにいい印象もってなかったんだけど、この本を読んで改めました。こんな心温まるスレッドがあったなんて。
22歳のアキバ系アニメオタク青年(電車男)が、電車内でからまれていた女性(エルメスさん)を助けたことから始まる物語。
電車男は今まで女性と並んで歩いたこともないから、電話をかけるにも、デートに誘うにも、着てく洋服にも悩んで悩んで大変。それを2chの住人、主に独身の男たち(毒男)がいろいろ励ましたり、アドバイスを与えて、電車男が奮闘する話。
男の人も大変なんだなぁと、なんかいとおしくなったよ。
本でまとめて一気読みしても、先が気になって仕方ないのに、リアルタイムでこのスレッド読んでた人たちはものすごーくモンモンとしたり、電車男の報告に一喜一憂、すごかっただろうなと思います。
寝不足になりながら参加してた人もいたみたいだけど、羨ましいよ。生き証人だよ。光栄なことだよ。
もしエルメスさんサイドからのスレッドがあったなら、「冷静と情熱のあいだ」以上の傑作になると思う。
もしくはエルメスさんは、恋愛コーチング本を書くべきだね。
超オクテな電車男を、あそこまで導いたには2chの住人の励ましもあるけど、エルメスさんのリードが的確だったことも大きいと思う。最後のくだりなんて、最高だもん。
「負け犬の遠吠え」で、酒井順子さんが、少子化の責任はキャリア負け犬女性だけにあるのか?生身の女に興味をもたずアニメに走るアキバ系オタク男には責任はないのか?と吼えていましたが、「電車男」を読んで思った。
アキバ系オタク男だって、生身の女に興味がある。ただ自信がなかったり、機会がなかったろするだけかもしれない。
エルメスさん(思うに勝ち犬体質の女)のように、やさしくリードしてあげれば、根はよい人たちが多そうだから、けっこういけるんじゃないの?
私、ちょっと幻想持ちすぎ?
それぐらい素敵な話でした。
「電車男」
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2004.12.14
夫の本棚にあり、かつ本読みHPの清太郎さんのオススメ本だったので読む。
読みにくそうな本かと思いきや、怒涛の一気読み。
まさか自分が、
心臓をわずらっちゃうぐらいに太っちょで、多分色白で、中年で、
香草入りのオムレツと、レモネードばかり飲んでて、
それゆえに太っちょで、心臓を患いはじめたおデブなポルトガル人に、
こんなにドキドキしちゃうとは思わなかったよー!
「供述によるとペレイラは・・・」
「・・・とペレイラは供述している。」
「・・についてはこの事件に関係ないから話したくないとペレイラは供述している。」
という形式で語られる、ある夏の出来事。
ということは、ペレイラは何かの事件に巻き込まれたか、何かの事件を起こしたか・・・、
ああいったい、ペレイラさんに何が起きちゃうんだろうか?と、もう気になってしまうのよ。
作者、アントニオ・タブッキの策に見事にはまってしまう。
ペレイラというのは、ポルトガルの小さな夕刊紙の文芸面を担当する新聞記者。
昔、大新聞で社会部記者をしていたころは、ひょっとすると真実を報道することに正義感を燃やしていたこともあるのだろうか。でも今は、小さな夕刊紙のたった一人の文芸担当。オフィスだって本社から離れていて、ペレイラは一人で細々と紙面を作っているのだ。敬愛する海外の文学を翻訳して紙面で発表することが仕事であり、彼の愉しみだ。働いているとはいえ、すでに一線を離れ、どこか楽隠居しているような中年男。妻には先立たれ、妻の写真に語りかける淋しき中年男。そして来る日も来る日も、オムレツとレモネードの、デブ男。
その人がよ、時代の流れに何かを感じ、何事かに巻き込まれていくんですよ。
ああもうドキドキ。
読後、うーむ、デブにも品格あり。などと大変失礼な感心をしてしまいましたが、ペレイラにはペレイラの矜持があるのだと、結局感心してしまいました。
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そっれにしても、ポルトガルにおけるオムレツの位置づけが大変気になった。ペレイラが異様にオムレツ好きなのか、ポルトガルでは普通のことなのか?
ポルトガルの行政化にあるマカオに行って、ポルトガル料理を食べたが、それはオムレツではなかったぞ。
雑誌「PEN」の郷土料理特集にポルトガル料理も特集されていたけれど、それによると干しタラと臓物料理が特徴らしい。オムレツはどうなの?
日本における牛丼やらラーメン、アメリカにおけるハンバーガー、イギリスにおけるフィッシュ&チップスのように、ポルトガルにおけるオムレツは国民食なのか?
たまたま、雑誌「散歩の達人」の11月号が銀座特集で、表紙がオムレツというか、オムライスだったんですが、それを視界のすみに入れながらこの本を読んでたので、もうめちゃくちゃ気になりました。
*******
供述によるとペレイラは…
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2004.12.11
「号泣する準備は出来ていた」に続いて読む。
「号泣する準備は出来ていた」はすでに”失った”物語が多かったと思う。
「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」は、まだ”愛欲”のなかにある。渦中の物語。
愛欲。
下世話で卑猥な感じもする言い方だけれども、私に浮かんだのは愛欲という言葉。
それは、愛している人とぴったりとくっついていたい気持ち。
人生を海に例えるのならば、
生きていくということは、
人を恋したり愛したりするということは、
“泳ぐのに、安全でも適切でもありません”。そんな場所なのだ。
安全でも適切でもないから、
時に人は溺れ、
時に人は流される。
これは、溺れたり流されてしまっている人たちの小説。
安全でも適切でもないなら、
ねぇ、私はどうしたらいいの?
泳がずに眺めていればいいというの?
そんなことはできるの?
生まれたときから海に投げ出されているというのに・・・。
私はイヤ。
クロールで泳ぎつづけてやる。
静かで、それでいて力強い、美しい泳ぎ方、クロール。
でもきっと、いつもアップアップ。
犬掻きぐらいがちょうどいいのだろう。
そして時々、溺れたり、流されるのだ。
「号泣する準備は出来ていた」の本読み日記はこちら
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泳ぐのに、安全でも適切でも...
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2004.11.19
読んでいてホッとする。
語り手である28歳の家政婦さんの視線が優しい。彼女の生活、仕事、考え方、すべてが丁寧で温かみを感じるのだ。
本屋さんが売りたい本のNo.1に選ばれたそうだが、なるほどと思う。書店員さんはやはり本好きの方が多いのだろう。小説が好きで、小説をよく読む人には大層好まれそうだ。
想像にまかせられる喜び、とでも言えばいいのだろうか。
博士と家政婦さん、
博士と未亡人、
博士の書き付けた数式の意味するところ、
博士の行く末、
きっちり説明されないところがいい。
おそらくロマンスも、親密な感情も、悲しみも、そして絶望も、あったに違いないのに、描かれているのは詮索しすぎない家政婦さんの優しい視線だけ。
私は私なりに想いを馳せる。永遠というものの実態、永遠を知覚する者が発する永遠の愛、それは絶望すら救うことが出来たのか・・・。そして人の優しさとは・・・。
いつしか私の想像も、おおらかな方向に働き始める。
本を読み終え閉じた後に、温かい気持ちで小説を反芻する。余韻にひたる。読書の喜びがこの本にはある。
****
そっれにしても、
1992年当時の28歳って、こんなに大人だったのか?!
未婚の母で、子供は10歳で、そりゃしっかりしちゃうのかもしれないけど、もう大人で大人で、本当に私より年下かよ?って感じです。
宮本輝の「ドナウの旅人」のマサコ29歳も、すっごい大人の女性で、「こんな女性になりたいわぁ」なんて30過ぎた私が感心してる場合か!でした。
その点、2003年に書かれた角田光代の「太陽と毒ぐも」に描かれている30手前の男女は言葉遣いも、生活も、すっごい学生っぽくて幼かった。多分、イマドキの30前後ってこんなもん。
博士の愛した数式
ドナウの旅人〈上〉新潮文庫
ドナウの旅人〈下〉新潮文庫
太陽と毒ぐも
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2004.11.18
「地平線に遮られて見えぬ都市に火の手が上った。風にのって聞こえてくる阿鼻叫喚、その中に一人の唖者のいることを、あなたは聞きわけられますか?」
谷川俊太郎 質問集続 より
(唖・・・実際の表記とは違う漢字となってしまいました。)
新潟で震災があったあと、私は幾度となくこの質問を自分に投げかけている。
被災者の窮状、いまだに続く余震。 私は声ある者の叫びさえ、きちんと聞いていないのではないか。
「大変だねえ・・」と言うだけでは、聞いたことにならぬのではないか、と。
続いて私は日常生活について思う。
世の中にはいろいろな人がいる。私のようなでしゃばりだけではない。言いたくても言えない、断りたくてもイヤと言えない、ありがとうと素直に言えない、いろんな人、いろんなシーンがある。
私はそんな声なき声を聞き分ける耳を持っているのだろうか、と。
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2004.11.12
江國香織ってこういう作家だったのか・・。
彼女の作品は「冷静と小説のあいだ Rosso」しか読んでいなかった。彼女のファンは皆一様に、彼女のよさが出ていない小説だと言っていたので、「号泣する準備はできていた」は、私にとって始めての江國香織作品といってもいい。
恋愛を軸に、仕事に生き方に迷ったり傷ついたりする人々を描く、恋愛小説の名手。そんなふうに思っていた。ほら、けっこういるでしょう?女流恋愛小説家。江國香織もきっとOne of them 。
悪い意味ではない、私はそういう小説が嫌いじゃないのだ。
「号泣する準備はできていた」だから私も、ちゃんと準備したのだ。いつもは子供のよだれやら鼻水やら拭いてるミニタオルを横に、うんと泣くつもりで、極上のせつない恋愛小説と思って、読み始めたのだ。
読み終わって心に広がったのは、凪の海。
狂おしい恋も、甘すぎる密な時間も、別離に伴う心の流血も、ing形で語られる感情の激しい高ぶりは、この小説にはない。
描かれるのはもっと静かな日常。他人からみれば、どうってことのない普通の日常。
日常に交錯するひそやかな感情。ほんの小さなドラマ。
恋をしていたり、失ったりする瞬間だけがドラマではない、人生でもない。
失ったものを抱え、ときどきそれを思い出し、悲しみを改めて味わったり、懐かしがったりするほうが、人生においてはよっぽど長い。
自分の人生をどんな風に抱えて、日常を生きていくかにも、その人なりのドラマがある。
凪いでいても海は海。かつて荒れ狂ったこともある。これから荒れることもある。そして今だって、波は穏やかに風にそよいでいる。
今の私や、これからの私に思いを馳せる。
恋に夢中になっていたころも、馬車馬のように働いたころも、歓喜したことも、傷だらけになったことも、いったん過ぎ去ってしまった。
結婚して、子供を産んで、安定的に幸福な日常の中で、わたしは時々、いろんなことを思い出し、せつなくなったり淋しくなったり、願ってみたりする。心はちゃんと揺れている。
でも私は泣いたりなんてしないだろう。
ましてや号泣なんてしないだろう。
号泣するに十分な、いろんなことがあったにもかかわらず。
号泣する準備はできていた
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2004.11.01
今日から、日経新聞の朝刊の連載小説が渡辺淳一「愛の流刑地」に変わりました。昨日までの高村薫「新・リア王」は朝から読むには硬くて、挫折しちゃった人が多いんじゃないかと思う。私もその一人。
渡辺淳一さんの連載小説は、とりあえず朝一番のアタマには読みやすい。でも「失楽園」のようなビックリな小説になっていくんでしょうか。なってくんだろうなぁ。楽しみなオジサン多そうです。
私は夕刊にのってる「ホーム・ドラマ」榊東行にはまっています。この人の「三本の矢」という小説に、2日間ほど睡眠時間を捧げて以来、注目の作家。
連載終わったら、はたまた単行本が出て、読み直してからちゃんと感想を書きたいと思う。
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2004.10.28
つい先日友人から、条件も趣味も全部あうのに、なあんかピンとこなくて、何度かデートしたけど結局ダメだった、って話を聞いたばかり。
デートする前も、デートしてるときも、デートの後も、思うんだよね。自分の理想に限りなく近い、いや理想そのままの人かもしんない。もう付き合って結婚してしまおうって。でもどんなに自分の気持ちを盛り上げようとしても、どーもダメでサぁ。と、友人。
っていうか、盛り上げようとすること事態がすでにダメって感じ?と私。
そーそーそー、わかってくれる?と友人。
なのにですよ。そんな会話を実際してたというのに、
最初はこの小説がよくわかんなかった。
人を好きになるってどういうことか、忘れてた。
この小説はとんでもないカップルの話ばかり。
30歳にして万引き癖が直らない女とそろそろちゃんとしたい男。
買い物依存症の男と自宅に積み上げられた商品にイライラする女。
アニバーサリー女と、平凡な日常で十分な男。
熱狂的巨人ファンの男と野球なんて知らなかった女。
こんな男女の恋愛模様を書いた小説。
例えば、スナック菓子をご飯にする女と、自炊もいとわない食事に関心のある男。
そんな2人が同棲してたら、そりゃあ別れるだろ。
食事の趣味が合うってすごい大事じゃない?と私は思った。
でも男は別れようとしなかった。
「だって、たかがスナック菓子が原因で別れるなんてバカみたいじゃないか。」と。
そして、味覚が合い、ともに食事をすることに何の違和感もない女と、
「たかが味覚があうくらいで」寝ようと思うなんて馬鹿げてると思うのだ。
私の感想は・・・
えええ、何で?何で?味覚って大事だよ。
食習慣って大事だよ。一緒に暮らしてたらなおさらじゃん!
スナック菓子をご飯にする女より、一緒にくみ上げ湯葉をつつける相手のほうが、アンタ幸せになれるよ、・・・・・・!!!
しかし。次の瞬間友人のことを思い出す。
条件や趣味や、はたまた味覚があえば、人は必ず恋に落ちれるのだろうか?
そんなことありえないって、なんだ、自分でもよく知ってることじゃないか。
病的なクセがあっても、大幅な相違があっても、それをどんなに憎んでも、イライラしても、好きになってしまうのは度々あることで、案外世の中、そんなカップルでいっぱいだ。
ねぇねぇ、そうすると私と夫って、なんか奇跡みたいなカップルじゃない?とちょっとのろけモードにもなるけど、一緒に暮らし始めた頃は随分もめた覚えもある。そのたびに、「だってそれでも」好きになった人だからと、思ってきたような気がする。相手のクセや習慣が気に障るからと別れたりはしなかった。
「だってそれでも」
これはすごく大事なことだと思った。
今、恋している誰かに、
重大なような、でももしかすると些細な不満のある貴方に・・
購入はこちらから
「太陽と毒ぐも」角田光代
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2004.10.27
最初に謝っておきます。全国の角田光代ファンの皆さん、ごめんなさい。これから書くことはすべて私怨に基づいていますのでどうぞお許しを。
夫がですね、みっちゃん、みっちゃんってウルサイのですよ。みっちゃんはなんか可愛いんだよねー。文章もいいんだよねー。とにかく可愛いんだよねー。と。
むかつくから、夫が読んでた角田光代を私も読む。
エッセイ集・「これからは歩くのだ」「恋愛旅人」
小説・「みどりの月」「東京ゲストハウス」「地上八階の海」
これらの本を読んで思った。こいつはなんなんだ。
角田光代という人は、
就職して働くことも苦手だし、計画を立てることも苦手だし、道にもすぐに迷ってしまう、なんだか頼りなくて危なっかしいけど、どういうわけか一人でアジアをぶらぶら旅行してしまう。
旅行先でも道に迷い、行き当たりばったりだけど、親切な地元の方に出会ったり、日本人旅行者に会ったりして、ビールをたくさん飲む毎日。
あ、でも私、旅先で出会った人とビールは飲むけどエッチはしませんよ、っていうのが上のエッセイ2冊から読み取れる内容。
小説では、アジアを放浪する人たちが出てくることが多かった。
そして象徴的に出てくる女がいる。
顔立ちは美人なのに、とにかく不潔で、歯なんて黄色で、伸び放題のストレートロングの髪はバサバサで、お金をもってなくて、あつかましくて、男にもだらしない、なんだか気味の悪い女。
その女を嫌悪する主人公。
なんだかね、その主人公がみっちゃんにかぶさってくる。
気のせい?
みっちゃんが嫌悪する女は、みっちゃんが、「私はアジアを一人で放浪しちゃうけど、決して、こういう女ではないんで、私とは一緒にしないでね!」と言うために登場しているような気さえする。
私(角田光代)って、ぼんやりしてて、隙だらけの女の子だけど、
不潔だったり、ふしだらではないのよって、アピールされてるように思う。
夫はまんまと引っかかって、「みっちゃんて可愛いなぁ」と何度も言う。
なんなのよ、ソレ。私はぼんやりもしてないし、隙もないし、計画立てることも、地図読むことも得意だわよ!
だから角田光代が嫌いなのだ。
でも、今は「嫌いだった」と言おう。それは、「太陽と毒ぐも」という小説を読んだから。この小説についてはまた改めて書きたいと思う。
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2004.10.12
誰もが、「えええーーっ!!」と思う本という触れ込みでしたが、本当に、「ええええええー!!!!」でした。いやはや面白かった。
最初にタイトルを聞いたときは、恋愛小説?と思いましたが、れっきとしたミステリー。
でも、最後まで読むと、やっぱりタイトルどおり、恋愛小説だったんだと思う。
最近読んだミステリーは、猟奇殺人モノや、人間の心の暗部を深くえぐったような作品が多くて、読んだ後に沈鬱な気持ちになることが多かった。
でもこの本は、ミステリー小説が上質な娯楽であることを教えてくれる。「全然わからなかったよーぉ!」という展開を楽しみたいなら絶対おすすめです。
秋の夜長があっという間に過ぎる本。
私も今から紅葉でも見に行きますか・・・・・・・。
もっと詳しくしりたい・買いたい人はここ。↓
葉桜の季節に君を想うという...本格ミステリ・マスターズ
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2004.09.03
夫は「るきさん」みたいな女性がタイプだという。るきさんの友人のえっちゃんは嫌いなタイプらしい。
でも私はどう考えたって、えっちゃんタイプだろう。
ああ、でも私は「るきさん」みたいな女性になりたいなとは思うのだ。
るきさんではないけれど、るきさんみたいになりたいと思ってるタイプだから、夫は私と結婚したのかなぁ。
るきさんちくま文庫
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2004.08.27
新婚当初に夫に薦められて読んだ。途中で何度も投げ出しそうになったけれど、新婚だったので、夫のために頑張って読んだ。
つまらないっていうか、くだらないっていうか、いや、そこがいいっていうか、要はね、ある男の靴紐が切れたんです。だから昼休みに靴紐を買いに行くんです。それだけの話。終わり。
でもその間にいろいろ考えるんですね、この男は。人生のむなしさとか、人を愛することの素晴らしさとか・・・じゃなくて。
近所の店のドリンクについてくるストローがかわって、ストローが浮いてきちゃうことや、
昼休み直前にトイレにたつのは、早目の昼休みなのか、就業時間とみなせるのかとか、
会社のトイレからペーパータオルが無くなって、送風で手を乾かす機械が置かれたことで、どれだけ不便かとか、
そういったことを真剣に考察するわけです。
「トリビアの種」って感じです。まだ3分咲きぐらいの。
最初、読んでてものすごくつらかったけど、そのうち、「あぁ。それは私も考えたことあるよ」と妙に共感もしちゃって、何とか読み終えました。
その後、私たち夫婦の間では、「ニコルソン・ベイカー的には・・・。」という枕詞でいろんなくだらんことの考察が流行りました。
一番議論を巻き起こしたのは、ウォッシュレットの使用方法について。
「中二階」で、トイレのあと、送風機で手を乾かしてもやっぱりペーパーで手をぬぐいたい話がでてくるけど、トイレで大をしたあとに、ウォッシュレットで洗って、乾燥ボタンを押すだけで下着をはける人はいるかどうか、意見が分かれた。夫は、100%の人が、紙で拭いて最終確認をするはずだといい、私は、いや、ウォッシュレットだけで十分きれいになると経験的に知った人の中には、紙を使わないひとも出てくるはずだと主張。夫は、「まさか君も・・・・・。」「いえいえ、私は紙で確認するけど、広い世の中にはってことよ。」「いや、いるわけない」と、議論は平行線をたどり、そのほかにもたくさんの「ニコルソン・ベイカー的な」話題で大いに盛り上がり、結婚3年、子供が2人よ。
恋人でも夫婦でも、最近どうも会話が少なくなったかな・・という人に、オススメの1冊ですかね。
「中二階」ニコルソン・ベイカー
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2004.04.20
最近幼児虐待・児童虐待のニュースが多い。1歳9ヶ月の子供のいるママとしては心が痛い。どうしてそんなことするんだろう・・。一方で、危険なものやいじって欲しくないものを「さわっちゃダメ!」と叱ったり、料理中にもまとわりついてくる子供に「もう少し待ってて!」と怒ってしまう自分がいて・・。
あーなんでもっと優しく言ってあげられないんだろう。もっと子供の要求に応えてあげたい。子供に幸せな時間を与えたいのに・・・って反省することも多いです。
正社員として働きつつ、家事もこなし、お腹は妊娠8ヶ月で何かと余裕がなくなってしまうのかもしれません。でもそんな言い訳は子供には関係ないんですよね。仕事を続けているのは自分の意思だし、好きかってにやらせてもらってる分、子供にはきちんと愛情を注ぎたい。あーでも本当に気持ちがどういうわけかささくれだってる・・。
そんなときに読む本があります。
「続あしながおじさん角川文庫」「アンの青春―第二赤毛のアン新潮文庫」がそれ。
「続あしながおじさん」は前作(というか本編)の主人公の友人が、孤児院の院長として奮闘する話。手紙形式で孤児院の抱える問題や、子供にとって必要なものは何かがつづられています。愛情・信頼が何より大切なこと、子供の叱り方、洋服の与え方、お買い物などの身近な経済教育の必要性などなど、素晴らしい育児指南書のように思います。
「アンの青春」は「赤毛のアン」の続編。16歳になったアンがアヴォンリーの町で教師になったころのお話です。アンも愛情と信頼が何より大切だと説き、子供にけっしてムチをふりたくないと語ります。でも手に負えない子もいるし、アン自身がイライラしている日もあります。そんなアンの様子は新米ママにも励みになります。
この2冊を読むと、ささくれだっていた気持ちが少しやわらいで、今日は子供にたっぷりの愛情を注ごうと再確認できます。怒り方叱り方も穏やかな口調で適切にすることができます。不思議なもので、強い口調で叱るよりも、子供の顔をのぞきこんできちんと語りかけるほうが子供もわかってくれます。愛情にまさる躾なし、なのかもしれません。
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2004.04.11
主人公の女性は今年の流行の言い方をすれば”負け犬”である。 30代、未婚、子なし。 そして私は勝ち犬らしい。ところで私はいったい何に勝ったのか? 負け犬といわれる人たちに対して勝ったとは思えない。あれこれ思案をめぐらせると、つまりは、自分自身に勝ち得た、ということかもしれない。
私は、愛する人にめぐり合い、その人にも愛されるという流れの中で結婚したかった。そしてその延長上に、望まれて生まれる愛らしい我が子を望んだ。誰でもいいから結婚したかったということはなく、何かに強制されて子供を産む気もなかった。幸いわたしは自分の望んだカタチで結婚し、子供に恵まれることができた。希望を叶えた。そういう文脈で、私は自分の人生に勝ったといえるのかもしれない。
さて、「センセイの鞄」の主人公はどうだったのか。彼女の過去の恋愛についてのエピソードが織り込まれている。どうやら彼女は昔の恋人に執着しておらず、結婚を願っていたようでもなさそうだ。彼女が独身であることは、何かを逃したわけではなく、彼女が望んだ結果であるともいえそうだ。だから彼女は負けていない。
仕事はそこそこに忙しく、家の近所には気の利いた居酒屋があり、本屋もあるみたいだ。
いいな、と思う。もし私が今の夫にめぐり合えず、つまりはこの人!という運命を感じることがなければ、きっと今でも独身だった。親と一緒に暮らしていたかもしれないし、一人暮らしを始めていたかもしれない。一人暮らしするなら、欠かせないのは、一人で行っても美味しく食べて飲める店が近いことだ。お酒はあまり飲めないので、食べ物も美味しいカフェでもかまわないが、30代も後半になってきたら美味しいつまみのある居酒屋のほうがラクかもしれない。「センセイの鞄」に出てくる居酒屋はいかにも理想的だ。チェーンではなく、地元の居酒屋。余計なことは言わない接客。ひとりで入ってひとりで出て行ける気安さ。常に季節のものを用意してくれているお品書き。いいなぁ。
だからか、彼女の毎日はそこそこ楽しかったみたいだ。独身の焦りや悲壮感なんてない。彼女はちっとも負けていない。 私も同じだっただろう。仕事や趣味や友人、そして気に入りの居酒屋だけで、けっこう幸せだったろう。
でもやっぱりそうなんだ。彼女は包容力があり、生真面目で、やさしいセンセイに出会ってしまってから、ふいに弱さを見せてしまう。「センセイ、センセイ」と心の中でいつも呼んでしまう。どこにいますか?ちゃんとそばにいてください、頭をなでてください。でなくちゃ私、泣いてしまいます。
きっと私もそんな日を抱えていただろう。悲しいわけではない。つらいとも思わない。でもせつない日はある。
よかったね、”センセイ”みたいな人がいて。 やっぱり彼女は負けていない。
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2004.03.26
「美人画報」「美人画報ハイパー」「美人画報ワンダー」と、美人画報シリーズの3部作目にして完結編。
この3冊にはものすごい共感を覚える。
たまたま美人画報の前に、某有名モデルさんの美容本を読みましたが、ふ~んと思うだけ。
だって、もともとが美しい人じゃん?そして美しくあることこそが仕事の人ではないですか。結局、彼女の美しさをキープする方法や、さらに際立たせるための心がけやテクニックについてしか書かれていない。普通の人とは土台が違うのですよ。
しっかし、安野モヨコさんは違う。
彼女は漫画家。売れっ子漫画家ではありますが、面白い漫画を描き続けなくちゃ食べていけない。売れっ子であるがゆえに徹夜もしょっちゅうのハードワーカーです。ストレス発散のためにドカ食いしちゃうこともあるし、スタミナつけるためにも脂っこいものだって食べちゃう日もある。
わかる、わかるよ。その日常。
私も深夜まで働いたり、接待が続いて高カロリー・高脂肪な食事をとったり、頑張る姿を美しいと精神論で弁護するのが精一杯で、ビジュアル的にはマイナスになる生活をずっとしていたから。
でも、美しくなりたいと思う気持ちはずっとあった。もともとの顔を整形しようとな思わないけど、きちんと手入れされた肌や髪、自分らしさを体現し、からだにあった洋服、喜怒哀楽をあらわすけどベースは微笑みの似合うやさしい表情、的確な言葉遣い・・・そんな美しさを手に入れたくて。
いろんなことを試したり、はじめたりしては挫折。でも女友達に刺激を受けたり、恋が始まったりすると、また頑張っての繰り返し。
最近は、家事・育児・仕事、そのうえ第2子妊娠をかかえようと、疲れた女にならないように、また頑張ってます。
「美人画報」シリーズはそんな私のお手本でした!安野モヨコ、綺麗になったね!すごいよ!
今までのタレント本、”ラクして綺麗になっちゃった~”なんて私は信じない。もがいてもがいて綺麗になるんだよ、たいていは。でもそのもがきっぷりを見せてくれる人っていなかった。だから共感できた。私も頑張んなくっちゃ!って心から思えたもの。
今は光野桃さんのエッセイ「私のスタイルをさがして」を読んでいますが、表現の仕方が大人なだけで、内容は安野モヨコさんの主張とかぶるところが多いです。インテリアと洋服は一緒とか、花をめでる心は大切とか。フムフム。
明日は週末。久しぶりに暖かくなりそう。
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